クラシック




室内へ入るや待ち構えていた翔太は美音ちゃん、と馴れ馴れしく名前を呼ぶ。
相川もそれが自然だと言わんばかりに翔太くん、とか返してるし。
…何か、気に入らないんだけど。
笑いをかみ殺してる翔太の顔も。



「明日さー、学校休んでね」

「え…どうして?」

「その方が信憑性高まるから」



ハテナ顔の相川と解せない表情の俺を確認すると翔太はあのね、と説明を始める。
お袋はご丁寧にお高そうなティーカップに紅茶を注ぎ、来客用にととってあったチョコレートのお菓子まで提供していった。
…これ姉貴が狙ってたやつじゃねーのかな。



「相川、紅茶で良かった?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ミルクとか砂糖は?」

「あ、そのままで…大丈夫」



話の続きが聞こえてこないな、と翔太を見れば、口をあんぐり開けて俺達を凝視している。
…どうしたんだ、一体。



「ねえ、奏ちゃん?本当に本物の奏ちゃん?!」

「おい失礼だろ、お袋といいお前といい」

「だって!何なの、その甘さ?!信じらんない!」

「…話 続けろよ」



3人がけのソファーに深々と座る俺からゆうに人一人分は空けた端へ相川はちんまりと座っている。
借りてきたナントカみたく、居心地悪そうに。



「美音ちゃんと奏ちゃんは、清く美しい男女交際中で。
美音ちゃんのケガが案外酷くて、心配した奏ちゃんがお父さんの病院へ連れて行ってそのまま2人は早退、って筋書きにして噂流しといた。
あ、奏ちゃん家 知ってるオレがカバン持って行くって先生に言って帰って来ちゃった」



テヘペロしても可愛くないぞ、翔太。
相川、開いた口か見開いた目を閉じろ、一回。



「いいんじゃね。
相川のこと呼び出したヤツらももう、手ぇ出してこねえだろ」

「………」

「…何だよ?翔太」

「いや…」



翔太の目線は対面に座る相川へ。
その瞳に浮かぶちょっと複雑な色に気づかないほど俺は鈍感じゃないし。
そんな短いつき合いでもない。



…翔太。まさかね?



そう思った時には既に消えていたけど。



初めて訪れた他人の家で臆せず飲み食いできるほど度胸が据わってるとは思えない。
相川はティーカップを両手で抱え込みじっと中をたゆたう透き通った赤茶色の液体を見つめている。



「…ピアノ、弾くか」





こっち、とキョロキョロしている相川を連れ立ってピアノが置いてある部屋へ。
姉貴の下手くそな演奏をご近所様へ披露するのは憚られたのかきちんと防音が施してある。
それを相川へ伝えると、ほえ、とマヌケな音が唇から漏れた。



「気兼ねなく練習しろよ。昼メシの時は呼ぶから」

「い、いえいえあのっ!そこっ、そんな、呼ばれる訳には!」

「…聞こえねー」



ゆるりとドアを閉め透明な小窓から中の様子を窺い見ていると、ピアノの傍に立ち尽くし呆然としていた相川は、首をフルフルさせるとグランドピアノへ向き直る。



途端に輝き出す瞳。
ほんのり紅く染まる頬。
特に化粧もしてないんだろうに真っ白な顔がツヤツヤと光る。



(…相川、なんだけど)



相川じゃないみたいだ。
ピアノ、って存在が介するだけで俺が知る相川じゃなくなる。
何となく、繋ぎ留めておきたい衝動に駆られるというか。
俺にとってはあり得ないくらい関わりたくなるというか。



(…彼女、で。いてほしいと思った)



椅子の高さを調整し、ペダルの踏み心地を確かめるように小さな足が上下に動く。
制服のスカートがゆらり。
小さく柔らかな両の手がとてもたおやかに鍵盤の上へ。
束の間の、静止。
そして途端に動き出す。



ああ、やっぱすげえ。
緩んだ口元に気づいたのは、ふーん、と耳元で囁く翔太の声で我に返ってからだった。



「…気持ち、入ってんだ?奏成」



翔太から“奏成”と呼ばれる線引きがどこなのか未だによく分からない。
中1からのつき合いだけど。
2人きりで、真剣な話。
そんなシーンはちらほら思い出せる。



「…どういう、意味だよ」

「伊野さんはねえ、信じてなかった。2人がつき合ってる、って話」



そうか、とつれなく返す。
翔太はつと俺に顔を寄せ、というより俺を押しのけ、小窓から厚い壁の向こうできっと美しい旋律を奏でる相川を見つめている。



「…まあ。悪くないかな、と思ったんだ。奏成に群がる肉食女子から美音ちゃんを守るには。
だから、協力した」

「お前、話が見えない」



廊下の壁に凭れ、腕を組んで翔太を見つめた。
何とも優しい色を湛え相川を見つめる瞳は、ああやっぱり、と俺に納得を促す。



「…翔太。相川のこと、好きなのか?」