クラシック




「…今日は、いいよ?練習しなくて」



そういうの、めちゃくちゃ嬉しいんだけどね?
ピアノよか俺優先、って。
でも知ってるから、俺は。
練習を1日怠ると、指がいつもの動きを取り戻すのに3日はかかる。



…って子供の頃、姉貴が口喧しく言われてた。
大事な美音をそんな目に遭わせるかっつーの。



「違う違う。
俺に教えろよ、ピアノ」

「え」

「美音がコンクールで弾くようなやつは駄目だぞ?
ドレミがどこにあるか、くらいしか分かんね…、って美音?」



一瞬で惚けたように目の縁は真っ赤に染まり瞳が潤んでいく。
どうした美音?って呼びかけても目の前で手をヒラヒラと振りかざしてみても反応がない。
口元がぷるぷる震えて感極まってる。
面白ぇな。
見てて飽きない、その表情の変化。



手フェチの美音のことだから、きっと今、脳内で激しく妄想中なんだろ?
和とは俺の手の話で盛り上がってたみたいだしな。



キュッと拳を握り込む。
開いた掌を、手の甲を、眺めてみても何てことない見慣れた俺の一部だけど。



「…一緒に…ピアノ?」

「そ。ほら、下 降りるぞ」

「あ、ちょ、っと…待って…」

「?」



どうしたことか。
美音は上体を自身の腕で抱え込み、何かを堪えるように眉間に皺を寄せていた。



…え、マジで。
どうしちゃったの?お前。



「…あ、しが…痺れて、ちょ、っと」

「あし?」



コクコクと頷く美音は触らないで、とお願いするように掌を俺へ向ける。
…いや、もしかしなくてもそれって。



「うわ。もーう、言えよ!美音は本当に!」

「…え、何…?」

「俺だろ?俺の頭 乗っけてたからだろ?
何分も!我慢してたんだろ?」

「や、別に我慢とかじゃ…わっ、」



ひゃあっ、とあまり可愛くない感嘆符が飛び散ったけど。
俺はごめんな、と打ち消した。
気づかなくてごめんな。
触るけどごめんな。
美音の背中と膝の裏へ回した手に伝わるほんのりとした温かさ。
想像以上にすっぽり収まる体感に美音の小ささを改めて知った。



ちょっと、何これ。この気持ちよさ。
遊んでる最中に寝入った、ちっちゃな従弟連中を抱えてやったことはあるんだけどさ。
男女の違いのみならず。
良い匂いのせい?柔らかな弾力のせい?
可愛いとしか言いようないよなー、これ。



「…っ、か、かかかかかな、っ、るく」

「ヒト科に分かる言葉を話せ。
ジタバタすんなよ、落とすから」

「や、…お、おろ、し」

「ピアノ部屋 着いてからな」



家が広くて良かったなんて、俺 初めて思ったかも。
誰も帰って来んなよ、と心底願いながら美音をチラリと見下ろす。



もう駄目、私 駄目かも、と。
さっきから何度も呪文のように繰り返している。
掌で覆い隠した顔にどんな表情が浮かんでいるのか正確に知り得なくて、そんなに嫌か、とへこみそうになったけど。



襟元から覗く首筋も、掌が足りないおでこや生え際までも真っ赤っか。
照れんなよ、とわざと意地悪く耳に吹きかけると頭のてっぺんからつま先まで総毛立つほどの反応をフルリと見せられて面白いったら。



「…っ、か、かな、るく…!」

「何?AED必要?その場合、胸のとこ全開になるけどオッケ?勝負下着じゃないんだろ?脱いだらスゴいから問題ないのか?」

「…たたみかけ方がオジサンぽい…!」

「可憐な16歳にオジサン言うな!」



まあ、ちっと。
調子に乗りすぎた?
ピアノ部屋の重い防音ドアを開けるために下ろした美音は、よろめきながらピアノの前へ吸い寄せられていった。