クラシック




「…ごめんね?」

「…謝んなよ。
美音は何も悪くないだろ」

「ううん、悪い」



やけにきっぱり言い切った美音の物言いが珍しく感じられた。
名残惜しいと頭のどこかで思いながらくっつけていた鼻をじりじり遠ざけていく。
俺を見上げるような美音の視線が思ったより間近にあった。



「…す、好き、な人…に。
そんな顔、させちゃ駄目だと思う。
私が、悪いんだと、思います」

「ぶ。何の発表会だよ」



美音、泣きそうなんだろうか。
鼻の奥がツキンと痛んだ。
こんなに距離が近いから伝染したのかもしれない。



「…妬いただけ。
美音の髪、こんな気持ち良いのに。
誰か他の男が触ってんだと思ったら嫌になっただけ。
…狭いんだよ、俺の心が。
1ミリ四方もねえんだよ」



別に今まで通り同じ美容室に行っていいんだと告げても美音は頑なに首を横に振る。
…言い出したら結構 頑固だな美音。
いや、心が狭いんだと言い添えたのが悪かったのか。
それでも行くなんて遠慮しいな美音が言うわけないな。



逸らされない視線から、何も不快に感じてはいないらしいとこっちも安心しきってるけど。
ちょっと空気が居たたまれない。
流れを変えたくて、こっち、と美音の手を取った。



「そこ、座って」



昨夜、親父の部屋から奪ってきた毛足の長いフカフカのラグの上へ美音を促す。
夜中に一人、丁寧にコロコロを転がす俺の図は自分でも笑えたけれど、座り心地に美音も満足そうだから良しとしよう。



「お前、何飲む?」

「…奏成くん」



せっかく上手いこと話 逸らせるかと思ったのに。
美音はまだ、さっきの件から思考が進まないらしい。
部屋を出て行きかけた俺のジーンズの膝あたりを、小さく摘まむ美音を見下ろした。



「あのね、私…気が利かなくて。
ごめんね」

「も、いいって」



俺を見上げくる美音の瞳が頼りなく揺れて。
ああ本当に泣き出すんじゃないかとほんの少し慌てた。
急いで膝を折り、美音の目線の高さまでしゃがみこむ。
キュ、と鼻をつまんでも抵抗しない美音の変顔は、変じゃなく可愛いから困る。



「…ピアノに、関しては…。
辞めたくない、とか。こう弾きたい、とか…あるんだけど」

「…あるんだけど?」



一旦、触り出したらなかなか止めらんない。
つまんだ鼻から指を離すと柔らかな頬を辿り、解いて流れ輪郭へ添うふわふわの髪の毛を掬って耳へかけた。



「…それ以外は、特にないから。
こうしろ、って奏成くんに言われたら、そうしたい。
嫌じゃないし…あ、それとも」



奏成くんがそういうの嫌になる?なんて。
澄んだ真っ直ぐな瞳で覗き込んでこないで欲しい。
いや、嘘。
どれだけでも見つめられて構わないんだけど。
俺の方が性根が黒いからか、ぞわぞわと背中が落ち着かない。



「馬鹿じゃねえの。
俺が美音のこと嫌になるわけねえだろ」

「私もだよ…あの。
いろいろ…してあげたいんだけど。
どうしたらいいのか、分からないから」



言ってもらえると助かる。

そう口にしてふんわり微笑む美音の言葉を疾しい方、やらしい方へと解釈してしまいそうな自分をひねり上げたい。



聖なる今日はそういうの、封印だっつーの。



「よし。
じゃあバンバン言ってくから」

「はい」

「まずは飲み物準備。手伝って」



俺は立ち上がり美音へと手を伸ばす。
躊躇いなくそっと掴まれる指先はピリリと電気が走ったように甘く痺れた。