「井波君と別れて欲しいの」

 それはある晴れた、高校3年の2学期が始まって間もない残暑の時間。
 話は唐突だった。
 呼び出されるまま、放課後美術室へ向かうと開口一番、まだ向かい合ってもいないのにそう大きな声で言われてびっくりして入ったばかりのドアのところで私は足を止めた。
 オレンジ色の陽が差し込む美術室、窓際に立ったその子は逆光で顔が見えなかった。

「あ、あの…」

 おそるおそる近付き顔を覗き込むようにすると、急に両手伸ばした手で相手に肩をガシッと掴まれ、全身を一気に恐怖が駆け巡って体を硬直させた。

「…何度も、何度も告白したの、…井波君じゃなきゃダメなの、私は井波君が好きなの。いつもいつも、恋人がいるからって、…だったら、だったら恋人がいなければ私のものになってくれるとでも言うの!? ねえ!?」

 ようやく見えたその子は目の大きな涙を溜めたまま、セミロングの髪がふわりと揺れた。

 掴まれた両肩には爪が立てられ、痛い程の恋心が私の体を震わせる。
 ずっと片思いしている気持ちは、私だってよくわかる。その辛さは、私も、ずっと、知ってる。

「…違う、違います。それを言う相手は、私じゃ、ないです」

 努めて冷静にそう言えたのは、相手の目からぼろりと涙がこぼれたからかもしれない。悲しすぎる痛い涙はオレンジ色を反射させて、美術室の床まで綺麗にキラキラと輝いた。

「…別れて、ねえ、別れてよ…別れなさいよ…!!」

 途端、片手を大きく振り上げたその子に、思わず両目をギュッとつぶって息を止めた。