看護師が実加の腕から垂れた血を消毒しようとするが、それに応じようと全く実加はしない。
それを見かねた斉藤先生が代わって実加の腕を強く掴んで消毒を始めた。
それでも実加は抵抗するが、腕はビクリともしない。
「待合室のことなんじゃがな。
財布をなくしたと言っていたカミさんが、自宅に戻ってみたら玄関に置きっぱなしにしてあったそうだ。
カミさんが実加ちゃんに悪いことを言ったと謝ってきたよ。」
実加は院長の言葉を聞いてはいるが、顔を見ようとしない。
斉藤先生以外が、実加の顔を覗き込もうとしている。
「どうしてあの時、逃げたんだ?」
強い口調で斉藤先生か実加に言う。
実加は下を向いたまま、
「誰も信じてくれなかった。」
ぽつりとつぶやいた。斉藤先生も院長も、目を丸くして驚いている。
二人は実加を疑った訳では決してなかった。ただ本当のことを聞きたかったのだ。
「そう思われてしまったのなら、ごめんね。
疑うつもりは微塵も無かったよ。
ただ、あの場にいた実加ちゃんの話をちゃんと聞きたかっただけじゃ。」
実加は一瞬目を見開いたが、俯いたまま何も言わない。
それを見ていた斉藤先生が、
「分かったか?
俺達は疑ってなんかないんだぞ。
それよりも、どうして走ったんだ?」
実加は驚いた顔して、
「逃げるのに走らなきゃ逃げれないでしょ?」
斉藤先生に向かって言う。
今度は斉藤先生も院長も、そして部屋にいた白衣を着た医師も看護師も顔を見合わせて驚いた。
「あのなぁ、喘息なんだから走っちゃダメなんだ。
知らないか?」
「知らない。そんなこと、、、初めて聞いた・・・」
実加は俯いてポツリと答えた。
「走ったら苦しくなったのは、走ることで肺を使って呼吸してるから。喘息は肺、呼吸の病気なんだ。
走れば発作が出るのは当然だぞ。
もう走るなよ。」
実加は眉間にしわを寄せて斉藤先生を見る。
「それは、、、わかんない。」
「ダメだ。
今日からこの病院に入院だ。
俺もここにいるから、ちゃんと病気を治すんだぞ。」
実加は入院と聞いて、すぐに
「嫌だ!」
と今度ははっきりと言い、ベッドから降りようとした。
しかし、すぐ隣にいる斉藤先生に捕まり、ベッドから降りられない。
「実加ちゃん、今日は疲れただろうからもう寝よう。」
院長が実加に声をかけると、実加は大人しくなった。
どうやら、院長のことは信頼しているようだ。
「それから、ここにいる先生が実加ちゃんの担当の担当の青木先生だよ。」
実加は斉藤先生に捕まえられながら、今紹介された青木先生を見る。
青木先生は少し微笑んで、
「よろしくね。」
と一言いった。
実加は俯いたままだった。
初めて会う人はまだ心を開けないでいた。
そんな実加を見たまま、斉藤先生は実加をベッドに戻した。
そして院長と斉藤先生は、クリニックへ戻るため、部屋から出て行った。看護師も出て行き、部屋には青木先生と二人になった。



