記憶にある両親の姿は、いつだって冷たかった。


国内の高級旅館を数多く経営する両親は、跡継ぎである男の子が欲しかったと聞いた。

そんな中生まれたのは、女である私。

その後子宝にも恵まれず、結局養子として迎えた男の子ーーー私の兄に当たる宗佑(そうすけ)を我が子のように可愛がっていた。



兄は、要領もよく、何をやっても1番。

勉強も、スポーツも、性格も。

どれをとっても、非の打ち所のない兄。

冷たい両親とは違って、私にも優しくしてくれるそんな兄を幼い私も慕っていた。

でも―――。



そんな兄が交通事故で死んだ。

横断歩道を渡る途中の交差点で、信号無視した車にはねられた。

打ち所が悪く、兄はその場で息を引き取った。




その頃からだろうか。

私と両親の間で、会話がなくなり出したのは。



次第に仕事を理由に家に帰る事が少なくなり、私はこの広い屋敷に使用人と暮らすようになった。


それでも両親がいなくなったって、勉強や習い事は手を抜かなかった。

学校の勉強はもちろん、華道や茶道、ピアノにバイオリン。

どれも日々、一生懸命取り組んだ。


それは両親がいない寂しさを紛らわせる為だったかもしれない。

兄の死を受け入れたくなくて、何も考えたくなかったからかもしれない。

でも1番は―――。



いつの日か両親に「すごいね」と褒められる日を夢見ていたからだったと思う。