異聞三國志

こうして、士郎達は精鋭10万を率いて、魏へ向かった。


問題は目の前の大河、黄河のみであったが、渡河作戦は成功した。

しかし、やはり抵抗は根強く、渡河するやいなや攻撃を受けて、再三途中で引き返した。

しかし、より上流から渡河した涼州騎馬隊が迂回して攻めてくると、さしもの魏軍も敗走した。


蜀軍は黎陽を陥落させ、ギョウに迫った。


ギョウは河北最大の都市であり、袁紹の時からの根拠地であった。


魏の皇帝曹叡はここに立て籠ろうとした。

が、ここは先の曹操の袁尚攻めの際に水攻めで孤立化させられた、苦い経験があったので、もっと北の袁紹の元の地盤南皮に立て籠ることにした。

ギョウは例のトウ艾と鍾会が守備していた。


そこで司馬懿はすかさずトウ艾に使者を送った。

トウ艾は躊躇していたが、またしても街の周りを水びたしにして、兵糧攻めにする、水攻めの準備をされるとわかると降伏に気持ちが傾き始めていた。鍾会は日和見でギョウを守る気は希薄。勝敗は明らかであった。

結局あっけなく、ギョウは開城した。