「…って、なんの乾杯?」
「……さあ」
コツンと合わせたグラスの中で、溶け始めた氷がカランと音を立てた。
酒を飲むはずもなく、味気のない透明の液体が喉を通る。
「直帰したらよかったのに」
「うん、そうしたいよ」
無意識に漏らすため息が、疲労の具合を表している。
「愛香遅いし、適当に済ませたくて」
「なるほど」
「自分で作れよって話だけど。そんな気力、正直ない」
「うん、わかる」
「逆によかったの?そっちは」
「捕まえるどころか、声を掛ける暇もなく先に帰った」
「はは、逃げられてんな」
「都合の悪いことでもあるのかと思う」
「今は通常勤務?」
「うん、特に休みは取ってない」
「詳しいことはわかんないけど、結構大変だったみたいね」
「薬飲んだら良くなるとか、そんな話じゃなくてさ」
「医者に掛かったの?」
「うん、流石に。見ていられなくて」
触れることを躊躇ったり、拒まれたり、そんなことも今はもうない。
薬に頼りながら、どうにか心を繋いでいる。
「蒼でなきゃいけない理由があるんだな」
「……」
「溺愛するのもわかる」
「…そんなつもりはないけど」
空になったグラスに水が注がれた。
氷の姿が少しずつ 見えなくなっていく。
「愛香が言ってたよ、全然大丈夫そうだったって」
「そう言えば会ってたな」
「あんな風に笑顔を戻すのは蒼にしかできないらしい」
「あぁ、ちょっと安心した。愛香さんの前でそういう顔ができるなら」
「実は無理をしているかもしれないけど」
「いや、付き合いの長い相手に嘘はつけないよ」
「まぁ、そうだな」