「さむ…ッ」
若干夜の気配が残る肌寒い朝。
腕時計の針は5時丁度を指した。
当直でないのにも関わらず、今夜は病院で朝を迎えた。
お陰で中途半端な時間だ。
玄関扉の取っ手も、冷えきっていて氷のようだ。
玄関の中に入ると、リビングの明かりがついているのが確認できた。
…起きているのか?
リビングに続く扉を開けようとして、水の音を聞き取った。
洗面所か…?
扉を開けようとしていた手を止め、洗面所を覗いてみる。
肩で呼吸をしていた愛香は、俺の気配を感じ取ると、手元のタオルで手や口元の水気を拭き取った。
「…おかえり」
蛇口の水を出したまま呟いた小さな言葉。
「ただいま」
「…どうしたの?」
突っ立っている俺に向けて鏡越しに聞かれるが、その言葉はそっくりそのまま愛香に返すべきだ。
「…水、出しっぱなしだけど」
「…うん」
再度顔を伏せると、少しの間水に手を触れ、そしてしばらくしてから蛇口を捻って水を止めた。
「…奏太?」
「何?」
タオルで顔を拭くと、ゆっくりこちらに体を向ける。
表情は髪で見えない。
「…やっぱ何でもない」
俯いたまま言い放った愛香の言葉の語尾が震える。
身動きを取らない愛香の足元に、ポタリと一滴 何かが落ちた。
そしてポタリ、またポタリと見えない表情の影から落ちてくる。
その場に荷物を下ろして片手を差し出すと、さ迷う愛香の手のひらがそれを掴んだ。
そして両手がいつの間にか背中に回ると、すすり泣く愛香が胸に顔を押し付けてくる。
「どさくさに紛れて涙をシャツで拭くな」
「…ん、だって」
「何だよ…。
数日前まで避けてたくせに、開き直ったら甘えてくんのか?」
「…ばか」
「都合良いよな…、本当」
背中を何度か叩いてやり、無理矢理体を引き離す。
「俺はタオルじゃねーの。」
「ふふ…ごめん」