キンモクセイ(仮)

やっと、キミに会えた。
あの時から探していたキミに。


エレベーターを降りて、一番角の扉に瞳人はカードキーを差し込んだ。
カチャリと鍵の開く音がして、中に入るよう促される。
はじめて他人の家にお邪魔します、という感覚で廊下の先にある扉に手をかけた。

「うわぁ…」

目の前には夕日に照らされた街並みが窓いっぱいに広がっていた。
思わず窓に近寄る。
2階建ての実家からでは、絶対に見られない景色。
だんだんと夜へと変化していく空の色。
いつもは気にしていない風景が、環境が変わるだけでこんなに綺麗に見れるなんて…。


普段自分が見慣れている風景を、目を輝かせて来春は見ている。
それだけで嬉しくなる。
きっとその瞬間が本当のキミなんだろう。
…もっと、本当のキミが見たい。
だけど、それは今じゃない。
すっと適度な距離を保って、来春の横に立つ。

「坂下様。ここからの景色は堪能して頂けましたか?」
「は、はい。十分堪能しました。お話しなくてはいけなかったのに、申し訳ありません」

詰めたはずの距離を来春はまた広げた。
近いのに、遠い。
きっとこれは今のキミと僕の心の距離なんだろう。

「構いませんよ。お茶の準備を致しますので、ソファにかけてお待ちください」

キッチンは対面式になっている為、リビングにいる来春の様子はよく見える。
お茶の準備を手伝おうか、言われた通り座って待つべきか…と2,3回その場をうろうろしている。
結局ソファーに腰を下ろし、下を向いている。
これからのことを不安に思っているのかもしれない…。

来春はソファに座ってから、どうしたら良いかと頭を巡らせていた。
今の状況は、私ひとりに信用していいのかわからない男性と1対1。
例え向こうが仕事の話であろうと、密室に2人は無理。
ザッと砂嵐と共に映像が頭の中をよぎる。
…もし、あんなことがあったらと思うと怖い!!
ぎゅっと自分を抱きしめる。

「夜になってきましたので、少し冷えてきましたね。
 暖房を入れてもよろしいですか?」

すぐそばまで瞳人が来ているのを気づかなかった。
いつもなら、異性が近づいてきたら絶対気づくのに。
…あんなことを思い出してたからだ。
そう自分に言い聞かせ、暖房を付けてほしいとお願いした。

瞳人が机を挟んで目の前に座った。
そして、先ほどちらっと見せてもらった契約書。
先程、瞳人が使っていたカードキー。
母からもらった鍵。
瞳人が淹れてくれたお茶が机に並んだ。

「では、今回の契約についてお話を始めさせていただきますね」

その一言で、私の中で戦闘開始のゴングが鳴り響いた。