「…ここだ」

母に半強制的に家を追い出され、手にした地図の場所に辿り着いた。
目の前には明らかに私の給料では、支払い困難確実な高級マンション。
…これは、お母さんの嫌がらせ決定だよね。
うん、帰ろう。
クルリと来た道を戻ろうとすると、目の前が暗くなった。

「失礼ですが、坂下来春様ですか?」

心地よいテノール音のボイスが私の名前を呼んだ。
こんな声の人、知らない。
恐る恐る顔を上げると、少し垂れ目で優しそうなスーツを着た男性がいた。
いくら優しそうに見えても、本性は違うかもしれない。
頭に過ぎる昔の出来事を振り払うように目を閉じて、仕事モードにスイッチを切り替える。

「確かに私は坂下ですが、どちら様でしょうか?」
「失礼致しました。私は、藤井瞳人(ふじいまなと)と申します」

名刺を差し出しながら、優しげメンズ(仮)が続ける。

「ご両親から我が社、支穏(しおん)に坂下様の家事代行の依頼がございましたので、担当のご挨拶に参りました」

家事代行サービス会社 支穏といえば、縁がない私でも耳にしたことがある会社。
この業界でトップクラスの実績がある会社だったはず。
名刺にもちゃんと支穏の会社名が書いてある。
しかし、ちょっと待った。
目の前には明らかに場違いなマンション。
そして家事代行サービスの社員。
これが本当ならば、確実に私は破産する…!
くらりと軽く目眩がしてきたが、とりあえずこれが本当なのか確かめなければ。
瞳人に断りを入れ、嘘であることを祈りながら母に電話をかけた。