当時、松永歩美の4つ下の弟もチームに属していた。その町で2番目に大きなチームだった。チームの名はエンブレム。のちにエンペラーとして再結成される。
当時、チーム同士の抗争は悲惨なものだった。毎日のように繰り広げられる抗争。いつ死人が出てもおかしくない状況だった。まさかその時は、弟が当事者になるなど思ってもいなかった。歩美の弟が殺害され、チーム抗争は更に激化した。そして、最大の事件が起こった。それはまだ、暑い日が続く9月中旬のことだった。その町の三大巨頭の大抗争だ。時刻は18:30、一般市民を巻き込んだ大惨事となった。その被害は、重症者多数、死亡者6名、その内の1人は幼い女の子だった。