高三の冬。

進学組と就職組に別れた。ほとんどの者は進路が決まっていた。決まっていない者はというと、親が自営で跡を継ぐか継がないか悩んでいる者や、ミュージシャンや芸能人を夢見る者たちだった。そんな中、卓也だけは真面目に就職活動をするがことごとく不採用が続いていた。担任の先生も『保育士にこだわらず、建築とかにしたら?』と言う声もあった。卓也の運動神経や頭のキレは、並々ならぬものがあった。実際、大学からのスポーツスカウトも来ていたくらいだ。それでも、卓也は保育園に応募する事を止める事はなかった。

書類でダメなところ、面接まで行くがダメなところ、既に10社を越えようとした時だった。最後のチャンスと申し込んだ保育園が、今、勤めている松永歩美が経営するヒマワリ園だった。