青い空に響く蝉の声。
 今年もこの季節がやってきた。
 清々しい気持ちを胸に、愛は一人、古本を両手で抱えていた。

「あ''〜、せっかくの夏休みだっていうのになんで手伝いなんてしないといけないのよ。」
「お小遣いあげるんだからしっかり手伝いなさいっ!」

 私の家は古本屋。
 今までも夏休みになるとこき使われてきたけれど、受験生になってまでされるとは思っていなかった。
 でも、今年は例年とは違う。
 友達とたーっぷり遊ぶためにお小遣いもらうんだからっ。
 そうなったら何がなんでもやりきってやる!
 
 お小遣いをもらった時のことを想像し、早くも清々しい気持ちになっていた。



「あの、すみません」
「はぁーい」

 そこにいたのはチェックのシャツにジーンズを履いた、いかにもオシャレってかんじのクラスメイトの森くんだった。

「あー、森くん、どうしたの??」
「北中さんって、ここでバイトしてるの?」
「違うよ〜、ここ私の実家でさ。」
「そっか、北中は偉いな〜。家の手伝いかぁ。」

 森くんは背も高くて優しい。
 恋をしたことのない愛にとっても、とてもいい人だと思う。

「ううん、そんなことないよ。で、どうしたの?」
「何か小説読みたくなっちゃって。何かオススメとかある?」

 森くんって本好きなんだー!
 って…、私ったら馬鹿だ。
 古本屋の娘なのに、小説なんて滅多に読まない。
 イコール、おすすめの本なんて無い。 
 悩んだ結果、友達の間で人気の恋愛小説をすすめた。
 笑顔で買って帰った森くん。  
 よく考えると、女友達の間で人気な恋愛小説なんて、男の子が見て面白いのだろうか。
 買ってくれたんだし、まぁいいかー!
 

 森くんが帰ってから愛は退屈していた。
 田舎だからなのか、人気がないからなのか、お客さんが一人も来ない。
 そんな時はほんの手入れをして、とお母さんに言われたけど、もう一時間ほど同じことをしている。

『あー、こんなんで本当にお小遣いもらえるのかなぁ。この時間に遊んでいたいよぉ』

 そんな事を思っていた時、蝉の声が一瞬静まった。 

「すみません、本を売りたいのですが。」
「え、はい、いらっしゃいませ!」

 突然、声をかけられたのにびっくりし、声が裏返る。
 洗剤のCMでやってそうなくらい白いワンピースを着た肌も美白で、優しく微笑む女の人が現れた。
 手には黒い表紙の本を一冊持っていた。

「こちらにお願いします。」

 本の買い取りはお母さんに任せた。



『あの人、すっごい綺麗だったなあ。』

 久しぶりにお客さんが来たからなのか、印象に残っていた。
 そう思うと、どんな本を売ったのか気になった。

「ねぇ、お母さん、さっきの人何売ったの?」
「とても変わった本よ。作者も不明、題名もわからないの。」
「え、そんな本いくらで買ったの?!」
「だから、買えないって言ったら、」
「言ったら?!」
「処分してくださいって…」
 
 愛に、その本を読みたいという興味がわいた。
 今までで聞いたこともない、珍しい本だ。

「し、処分なんてしてないよね??私、その本読むっ!」
「いいけど、仕事してね。」

 お母さんは無意識なのか、語尾を強調して本を渡してくれた。
 持ってみると厚みはないが、意外とずっしりとしていた。
 
 仕事をしろと言われても、どうせ一日中暇だということはわかっていた。
 お母さんの目を盗んで本を読むつもりだったが、お客さんも来ないし、暑いという理由で、今日のお手伝いはもうしなくていいと言ってもらえた。


『んー、やっぱりクーラーって最高!』

 部屋に戻って大きく息を吸い、クーラーの重要さに改めて気づいたあと、例の本を読むことにした。

『本当に題名も作者もわかんないんだ…』

 ペラペラとページをめくると、愛はあることに気づいた。

『これ、本じゃない!!』

 そこには何も記されていない真っ白な紙が束となっているだけと物だった。

『何それ〜、不思議な本だと思ったのに〜。』

 期待とは裏腹な事に、愛は肩を落とした。

『これなら下で古本でも読んでいようかな。』

 そう思い下に降りた。
 すると母は、忙しそうに本の整理をしている。
 母は私が降りてきたのに気づいたのか、パッと振り返った。

「あんたー、あの本もう飽きちゃったのー?」
「…まぁ、うん。」
「じゃあ、買い物行ってきて。今は愛とお母さんしかいないんだよ。」

 『え''ーー!!』
 と言いそうになったが、お小遣いのためだ、と思って口をふさいだ。

 買い物バッグとお財布を渡され、近くのスーパーへ向かった。
 朝、天気予報でもいっていたが、今日は真夏日で外では蝉の鳴き声が響いていた。

『この材料だと、今日はカレーかぁ。』
 
「あ、北中さん。おつかい?」

 そこには森くんがいた。
 今日はよく森くんに会うな〜。

「うん。今終わったところで。」
「そっかー、あのさ、話変わるんだけど、あの〜、その〜…」

『何、モジモジしてんだろ? 暑いから早く帰りたいんだけどなー』

ドッ

「うわあ!」

 足元を見ると、白猫がぶつかったということがわかった。
 その拍子に私が(勝手に)買ったアイスが落ちていた。

「北中さん、大丈夫!?」
「あ、うん。大丈夫。」
「あ、アイスが…」
 
 森くんが私の足元を見て、口を開いている。

「え?」

 私も続いて足元を見る。
 すると、アイスが無いということに気づいた。
 そそくさと走っていく白猫。
 口元にはアイスのブルーパッケージに、赤い文字で『期間限定』と印刷してある部分がある。

「ちょっと!アイス! っ!」
 
 私は、周りの目も気にせず全速力で走って白猫を追いかけた。
 すぐに捕まると思ったが、変な細い道を通るので、走りにくい。
 
 いつの間にか、神社のようなところに着いていた。
 
『こんな所、あったんだ……』

 汗だくの私は、猫を追いかけるのをやめ、神秘のような場所と心をかよわせた。
 とても不思議な感じ。
 緑が生い茂っていて、空気が美味しい。

「なんだよ、お前。」

 突然の声に、一瞬で鳥肌がたつ。
 声の方を向くと、私と同い年くらいの朱と白の衣装のような衣服を着た男の子が立っていた。
 足元には白猫。

「それ、あんたの猫?私のアイス返してよ。」

 でも、この暑い中、アイスなんて溶けているかもしれない。
 でも、ここまで来て帰るのも悔しいから意地でも返してもらう!
 
「は、早く!」
「おい、お前。」

 私の話を無視し、どんどんと近づいてくる。

『え''、なんか怖い!』

「何持ってんだ?」

 は?
 何こいつ、また食べ物盗ろうとしてんの!?
 でも、アイス以外に何も買ってないしー…。

「にんじんと、またねぎと…」

 私は素直に買った材料を言い始めた。
 もちろん、カレーの材料と思われるものばかりだ。

「その、ポケットの中、黑書があるんだろ!」

 またもや私の話を無視するヤツ。
 無理矢理、私のポケットの中に手を突っ込んだ。

「ぎゃー!ちょっと、何すんのよー!」

バシーンッ

 私は驚き、思いっきりあいつの頬をビンタしてしまった。
 その勢いで、彼はふらつく。
 その手にはあの黒い本があった。

『…なんでこれが』
「ふーん。やっぱりな、」

 彼はその本をジロジロと見て、ニヤリと笑った。

「ち、ちょっと!返しなさいよ!この泥棒猫!!」

 この暑い中、早く帰りたい一心で言った。
 あんまし遅くなると、お母さんに怒られるというのもある。

「はぁ?これは誰のでもねぇ。今持ってるのは俺。だから俺のモンなんだよ。」

「この暑い中、屁理屈ばっか言ってんじゃないわよ!そ、そのアイスあげるから、その本は返して!」

 溶けたアイスなんてもうどうでもよかった。
 今の私にとって大切なのは、あの本!
 もともと私の古本屋が受取った物なんだし!

「図々しい女だな……」

ピキ………
 
 私の堪忍袋の緒が切れた音だ。

「いいから…」

 私は大きく息を吸った。

「返してよー!!」

 その時だった。

 彼が持っていた黒い本は、彼の手から逃げるように跳ね落ち、私の足元に落ちた。
 とっさに私は、その本を拾う。

「……」
「じゃ…わたし帰るから。」

 諦めたのか、何も言わない。
 私は彼に背を向け、神社を出ようとした。

「おい、待てよ。」

 そう言うと彼は私の手首を強く引き、私の顔に近づいた。
 そしてジーっと私の目を見つめる。

『ち、ちょっと…、私何されるの!!?』

「優。」

 彼はバッと近づけていた顔を後ろに向けた。

「なんだよ。光。」

 突然現れた男の人の名前はヒカルというらしい。
 あいつと同じ衣装のような衣服を着ていて、顔が小さくて超美少年だ。

「その女が持っている本は…」
「ああ、黑書だ。お前が狙おうったてそうにはいかねぇ。」

 何だかすごい雰囲気に、私はおずおずと立ち尽くしてしまった。

「それは私が貰うっっ」

 光は私に襲いかかろうとし、優はそれを止めた。

『え〜、もしかして私、喧嘩の原因つくっちゃったー??!』

「おい、おまえ!早くここから出ろ!! 早く!」

 私は状況のわからないまま、全速力で走った。


「…ただいまぁ。」
「おかえりなさい。遅かったわね。」

 お母さんは落ち着いた声で私を迎え、怒ったりなんかしなかった。
 きっと、暑くてそんな気力が無いのだろう。
 私は無言で買い物バッグを机の上に置くと、ドタドタと階段を駆け上った。

 部屋に戻ると、大好きなクーラーもつけず、ベットに横たわった。

『今の、何だったんだろう。 優と光は、なんでこの本が欲しいんだろう。 二人の関係は?? 黑書って? この本の事? あの白猫は……』

 今までの出来事が頭の中を駆け回る。
 愛は、この本に不思議な胸騒ぎを覚えた。

ミャァオ

 バッと窓を見ると、さっきの白猫がこの本を見つめていた。
 まるでこの本を欲しいと言わんばかりな顔だ。
 
『ねぇ、白猫。この本は何?なんでこの本が欲しいの??』

 心の中で白猫に問いかける。
 目をじっと見つめた。

 少しして、白猫は窓からいなくなった。
 白猫はずっと、私から目をそらさなかった━