車から降りると、そこはこの前と同じ執事喫茶だった。
「…早くして。執事長たち待ってるから。」
佐藤さんがボソリと呟いた。私は、動揺しながら急いで降りた。降りた後すぐ、私の手を誰かが握った。
「こうすればアンタも逃げられへんやろ?結構凄いと思わへん?」
た、田辺くん…それは卑怯な気が…
「ほら、この場合逃げられへんやろ?」
…地味に計算入れてるんだ…でも、だったらこのまま田辺くんを引っ張って逃げれる。多分すぐにギブアップしそうだけど、挑戦してみるだけしてみようっ。深呼吸をする。
…よし、今がチャンスっ!!
「…田辺くん、一緒に逃げよっ!」
田辺くんを、抱っこ…出来ました。意外に軽い…もしかしたら私の方が重いかも…
と、とりあえずっ!体力の残っているうちにできるだけ遠くへ!
「…へぇ・・・さっすがやなぁ。めっさ速いやんっ。これ、きっとすっちより速いんちゃう?」
「すっち…って誰?」
田辺くんを抱えたまま田辺くんとこの会話。意外と面白いと思っている自分がいることに驚く。
「ほら、あのオロオロしとってオモロい奴っ。名前は鈴木やけどな。喫茶店の中やったら、アイツがいっちゃん速いんやで。」
「そうなんだ…確かに一番よく動いてたけど……」
「せやろ?…にしても俺結構重いんやけど…大丈夫なん?そんな速度で走ったら、すぐ疲れてまうやろ?」
「大丈夫だよ。田辺くんは、軽い。…でもごめんっ。…屋根の上行くからっ。」
「…へ?」
ビュッと飛び跳ね屋根の上まで大ジャンプ。
「あの変なやつって、この為なんだ…」
「変なやつって?」
っ。し、しまったっ。つい、声に出しちゃった…
「そ、それは…き、企業秘密っ!」
「…そんなんつまらんで?ほら執事と主の間に隠し事なしっ!特に俺の場合、一番アンタに近い立場なんやで?ほらっ、さっさと言いっ。」
そう言われましても…これは我が家で代々続いている(らしい)護身術。その特訓の仕方がとにかく変。まぁそれが一族にしか無いモノで、一族以外は誰であろうと知ってはいけない。(…という事になっているらしい)
「…見つけた。」
うわわああああっ。び、びっくりしたぁ・・・
いきなり下から『ふわっ』と現れた佐藤さん。う、浮いてる…?
「…田辺、お前は何で女に抱き上げられている?…情けない…ん?いやまて…歴代の魔王は男ばかり…魔王に抱き上げられているとすれば、大丈夫…うん。大丈夫だ。」
そう呟きながらストンと屋根の上に着地する佐藤さん。その言葉に、田辺くんは一人喚く。…屋根の上で。
「どこがやねんっ!ぜんっぜん大丈夫じゃないよ俺っ!」
「…こっちがいいからそれでいいんだ。…いや、でもこれじゃ立場が逆。普通執事が魔王を…」
「あ…あのっその……た、田辺くんやっ…さ、佐藤さんがそんなに…えと…おっ、追いかける理由って何なんですかっ?!」
「…魔王だから」
「アンタが魔王やからやっ」
同時に答えなくていいじゃんっ。でも…魔王だって事にしか触れてないんだから…
「…じ、じゃあ私っ!魔王、辞める…から、も、もうこれで理由は無くなった…はず、だから。私、一人になりますっ」
ストン、と田辺くんを屋根の上に乗っけてしばらく沈黙が続いた。そして一気に走った。…一体どれだけ走るんだか…
「・・・」
後ろで田辺くんがブツクサと何か言っているのが聞こえたと思った瞬間だった。いきなり体が動かなくなった。
そして田辺くんはニヤリと笑う。
「最初っからこないしとけばよかったんやなぁ〜・・・何で気付かんかったんやろ、俺?」
「…バカだから」
佐藤さん、ピシャリ。その後のこの場、シーン。
「そこまで黙らんでもええんちゃうのっ?…て、やっぱバカみたいやわ、俺。ほら、これで喋れるんちゃう?」
いきなり、ピカッと田辺くんの手が光ってその光の渦が私に、せせせ迫ってきたぁぁああ!
「…っ・・・あっ。」
少し楽になった気がした。
「ほらな。もーこれで逃げられへんやろ?おとなしぃして付いて来ぃ」
「…嫌っ……」
「ええ加減しい!アンタん所為で…アンタの所為でどんだけこんな気持ちになればええん?はよ付いて来てやっ。…これで大人しなりや?…っ」
キレた田辺くんって、初めて見た…けどかなりコワっ。で、田辺くんが渡してくれたのは…き、キスだった。頬に、ちゅって…
一瞬だった。でも長い時間していたような…そんな感覚があった…
「もう嫌なんて言えへんよな?」
え、笑顔が怖い…ような…
「…でも、嫌・・・あそこは…嫌……」
「痛いから?」
コクリと頷く。でも痛いからというより、あんな逃げ方したのにやすやすと戻るのが何か嫌だった。…そんなこと、言えないけど。
するとそんな事?って顔で田辺くんは話した。
「なら大丈夫やて。結界外したから。」
…結界?
キョトンと言葉を失う私に田辺くんは説明をしてくれる。
「そ、結界。結界はっとけば魔王はその人やてすぐに分かるっちゅう寸法や。よー考えたと思わん?しかもこれが開店時からっちゅうねんから、凄いやろ。」
「…開店時・・・って何時から…?」
「ん〜…何年前やったっけ?」
「…営業は7年前。建設は…魔界と人間界の時間軸の計算面倒くさいから田辺、自分でして。確か802年くらいは…」
そんなに続いてるの?ってか、そんなに生きてるの?
もう何処から触れればいいのか分からない私を放っておいて二人は話を続ける。
「作るだけ作って後はずっと魔界におったからな…人間界と魔界じゃ時の流れが全然違うし…人間界の一年が魔界じゃ一ヶ月経ったか経ってないかぐらいやからなぁ…で、人間界の7年前、魔王であるアンタが生まれて人間界に飛ばされたからこっちで喫茶をやろうって事なってん。まぁ、簡単に言うと人間界と魔界とでの時差があるから同い年やけど実際はもっと年差があるっちゅう事。」
…じゃあ、私は生まれて数ヶ月と数週間しか経っていない…ということなのか?や、ややこしい…
「…お喋りはそこら辺で。」
「ん〜?でもええやん。動こうとしても、動けるのは口だけ。せやったらちょっと位喋ってても平気やろ?」
「…とりあえずまた後で喋る時間ぐらいあげるから。とにかく喫茶まで行きましょう。お嬢様、貴女はこれで。」
いきなり寄ってきた佐藤さん。はい、3回目のお約束です。またも私はお姫様抱っこ。
「な、何で…?私、違うよ…?魔王なんかじゃない。なのに…どうして…?分かんないよ…」
「やっぱりまだ認めへん?」
「…だから帰ってからですって…」
「ちぇえっ…さっちゃんのケチ。」
「…行きましょうお嬢様。」
「あぁっ!また無視っ。ヒドいって!」
…えと・・・
「帰ろっか…」
言った瞬間、田辺くんの顔がとっても明るくなった…気がする。佐藤さんも少し明るい表情をしたように感じる。
「…やっとですね。」
「きたきたっ。よっしゃっ!帰ろう帰ろうっ。お腹も空いているしこの時間なら喫茶にも誰も居ないやろし。」
「…喫茶は終わった。今からは、あの喫茶を王宮代わりにする。大きさはかなり狭いですが…お許し下さいお嬢様」
その言葉を聞いたとたん凍りついた。あの大きさで狭いだと?あ…ありえん…あの大きさでこれから住むと?到底無理っぽい…
「…人間界で、の話なので月日が経ち次第魔界の方へ行きます。すると…きっともう人間界には戻らないでしょう…」
…は?い、いま…戻らないって言わなかった?
「…どうして?嫌だってっ。居たいよっ。この街が好きなんだよっ?どうしてもダメなの?」
「アンタ…もう忘れたん?此所と魔界じゃ時の流れが全然違うんやて。戻った所で誰も憶えてない処か生きとらへんのがオチやって。」
…そうだったか・・・やっぱり私ってこの街から不必要とされているの?でも私は居たい…っ!
「…ですが、貴女が卒業するまで待ちます。しかしあまり人を待たせてもいけないので、卒業するまでですが。」
「…卒業・・・」
「…あの先生に生徒になりたいと言ったそうなのであの学校に行けるよう、手配しておきます。卒業後は魔界へ向かいその後はもう人間界へ行く事が無くなるという条件が付きますけど。」
あ、そういう事。…でも卒業までだなんて…あと二年も無いのに…
…?というか今、今更の事に気がついたんだけど…
「佐藤さん何故に敬語?」
「…今更です。」
くすっと笑った。…そこ、そんなに笑えるのかなぁ?まぁこの会話と場所を考えるとこの質問は笑えるけどさ…
「…まぁ、望むならタメ口を心掛ける…」
うん。この感じの方が佐藤さんっぽい。
「そうしてっ。その方が落ち着きますっ。」
「…じゃ貴女も敬語無し。敬語だろうが何だろうが『お嬢様』とは呼ぶけど…」
「なら、さ…とりあえず屋根から降りよ…?なんか人が集まりだしているし…」
下を見ると、私たちを見上げる人が結構いる。何やらヒソヒソ話す人もいれば、「お〜いっ。降りてこ〜いっ!」と叫んでいる人もいる。更にはケータイを取り出して写メを撮る人もいる。更にキャーっ・・・なんて、人事のように騒いでる人もいる。…まぁ人事なんだけど。
「…放っとく。行こう。反対側から行けば大丈夫だから。」
…そんなんで大丈夫なのだろうか…?
「…じゃ、行くから。しっかり掴まって、お嬢様。田辺も」
「了解りょうか〜い。」
すると、二人は、ビュッと屋根から飛び降りた。周りは一瞬にして凍りつき、皆が一斉に息を呑んでいた。

「ねぇ、佐藤さん。私、重くない?」
走っている途中、私はボソッと問い掛けた。
「…全然。田辺の方が重いから、大丈夫。」
「でも田辺くん、凄く軽かったよ?」
「…まぁ、重力に特化した人だからな。」
「それはそれでかなり凄いような…」
「…いや。『魔界人』。」
「そういう物なの?」
「…そういう物だよ。…標準であの重さだからお嬢様の前でかなり猫被ったんでしょ。」
…なら、良かった・・・んだよね…?