それだけを言うと私の耳元でこそっと続きを言った。
「…というのは少し嘘で、私も使用人だから覚えていられたの。身分的にはかなり下の使用人なんだけどね。」
「え?結実が…?」
…それならみんなと条件は一緒。だから覚えていたんだ…やっぱりこの関係だからみんな記憶を失ってないだけ…
「でもこれ以上は玲実にしか言えない。翔たちには黙っててほしい。」
「だから結実ってあの時様子が変だったんだ…」
「あの時…?」
「ほら、えと…そう、私をあの店に連れて行ったじゃん。」
元を辿るとあれが生活が変わった一番の原因。
「…そういう指示だったの。ごめん。」
「だ、大丈夫だよっ!だってまた会えたんだから私はそれだけで十分。」
それだけで幸せ。誰が何と言おうと一番心の支えになってくれていたのは結実なんだから。
「盛り上がってるところ悪いんやけど俺らも混ぜてくれへん?」
「いいでしょ?」
翔と直樹の顔が一気に近付いた。べ、別に問題は無い、けど…こうも近いと…
「近すぎ。もう少し玲実との再会を楽しませてよ…どうせ同じ家でしょ?」
「アンタ…どうしてそれ知ってんの?」
「そ、それは今朝みんなが車から降りてるのが見えたから、で」
「何か怪しいよね…全部知ってる、って感じ。」
「二人とも駄目。結実を疑うような行為は…そんなの嫌だ。」
「ごめん。」
謝ってほしいわけじゃない。ただ気付いてほしかっただけ、なのに…
「玲実、ありがとう。私は大丈夫だから、ね?」
「うん…」
頷くことしかできなかった。
「そんな顔しない。幸せが逃げちゃうよ。」
「ありがと結実。」
「…時間も逃げます。そろそろ現代文の授業です。」
佐藤さんの声がしたからすぐにその方を見ると佐藤さんが現代文の用意を持って立っていた。
「ご、ごめん…」
「…謝るのはいけません。私が勝手にしているのですから。現代文はセミナールームですので行きましょう。」
私は咄嗟に立った。そして佐藤さんの後に付いていく。結実も隣にいてくれた。その少し後ろには翔と直樹もいた。
「それにしてもさ何かこう…気まずい感じ?なのは何で?」
「僕に聞かれても知らないよ!」
二人の声は後ろの方でずっと聞こえる。しかし私を含めた前三人は一言も喋っていない。
「れ、玲実…」
「どうしたの結実?」
「あの…現代文、河内先生だから気をつけて。そ、それじゃお先にっ!」
結実は走り去ってしまった。私が止めたのに見向きもせず。
「あ、あの…河内先生ってそんな厳しい先生なの?」
「厳しいっちゅうか…」
「時間にのみやたらと厳しい先生だよね。」
それを聞くとすごく走りたくなる…だってもうあまり時間がないような気がする。
「…もう着いたので多分大丈夫だと思いますが。」
佐藤さんの指差す方を見ると確かにセミナールームと書かれてある。…結構近くて助かった。でもあれじゃ結実は教室を通過していったってこと?どうして?
佐藤さんがスッと扉を開けてくれるとそこに広がっていたのは大学を思わせる教室だった。大きな部屋、段々になった長机、高級感が滲み出ている椅子…目がくらりとした。だけど此処で現代文が受けられるのかと思うと少しだけ胸がわくわくする。
「…玲実様、席へ案内します。」
エスコートをしてもらいながら席へ着く。どうやら一番乗りだったらしく、嫌に静かだ。でも外で聞こえる風の音が気持ちいい。
私は教科書をチラリと捲ってみた。するとあの本のページになった。
「これ…」
ただ読みたかった。私はすぐに物語の世界に入っていき、すぐ次のページを捲っていった。途中、翔の気配がしたけど気に留められない。懐かしいのだ。
私はすぐに読み終えてしまい、顔を上げた。
「それ、玲実の持ち物んなかにあった本…好きなん?」
「うん…大好きな本。」
「確かその物語って今日からだよ。ナイスタイミング。」
そうなんだ…ちょっと嬉しいような淋しいような感じ。だって自分の好きな本を勉強できるのは嬉しいけどこれは素敵な物語だからみんなこの本の良さを知ってしまう。
「…玲実様、お身体が優れませんか?」
「そ、んなことないよっ!平気平気、全然大丈夫っ!」
「…余計な行い申し訳御座いません。しかし玲実様、無理だけはなさらずに。」
私はもう無言でしかいられなかった。沢山気を遣わせてしまった…
「大丈夫やて。そんな淋しい顔したアカンよ、玲実。いつも通り元気に、や。」
「ありがとう翔。佐藤さんも…」
するとセミナールームの扉が開いた。結実が一人で入ってきた。
「あ、あの…玲実。これ、渡すから一人のときに…」
そう言って結実は私に手紙を渡した。
「絶対に誰にも見せないで…」
コソッと私の耳元で言った。
「何二人で話しとるの?」
「女の子たちだけの秘密。必要なんだよ、そういうの」
結実はやや大袈裟で、何の隠すこともなく言った。
「でも全ては玲実次第や。俺はアンタや無くて玲実に仕えとる身やからな。」
「でも…秘密は無しって約束したけど、やっぱりこれは言えない。結実は友達だから…」
こう答える以外に私の答えは見つからなかった。
「解った…」
翔はやけにすんなりと受け入れた。
「でも何かあったら絶対に絶対にすぐ言うんよ。解った?」
「う、うん…」