ボロスとピヨのてんわやな日常

 どうやら今夜は満月らしい。大きな月は星たちと輝きを競う反面、俺たちがいる場所を優しく照らしていた。
 収入が安定していないホームレスたちにとって、満月の明りは恩恵のひとつだ。出費を抑えるため、電気ははやい時間に消された。
 満腹になって寝ようとしていた俺たちに、ゲンさんが寝床をつくってくれる。
 俺は食べ物を貰ったことはあるが、寝床を与えてくれる好意を受けたことはない。
 なるほど、千代丸がゲンさんたちのことを、凄く優しい心を持った人間たちと言ったのがわかった。
 お酒が入ったためだろう。布団を被ったゲンさんは、すぐにイビキをかきはじめた。
 他のテントからも物音ひとつ聞こえない。皆、熟睡しているのだろう。ただ、川が流れる音だけが聞こえてくる。俺の近くにいるピヨも無防備状態だ。今なら食べられそうだが、千代丸とゲンさんの目もあるので、やめてやることにした。
「ボロス殿……お話ししてもいいですか?」
 俺が安堵の息を吐いた時だ。千代丸が声をかけてきた。月光を受けて光っている二つの目が見える。そう、猫は夜行性だ。家猫が夜に寝るのは、主人に時間を合わせているからにすぎない。本来の俺たちの時間ははじまったばかりなのだ。
「ああ、そういえば、さっきの話の続きをしていなかったな」
「ええ、そのことで……あの子供は今晩くるはずです。彼の心の中には、テントに火がつけられた時以上の揺れる気持ちを感じましたから」
 いきなり怖いことを千代丸が言う。おいおい、それなら無理にでも、ピヨを起こしておいたほうが良かったんじゃないか?
 そこで俺は気づいた。千代丸の言葉の違和感を。テントに火がつけられた時以上って?
「千代丸! お前、テントに火をつけた犯人を知っているんじゃないのか? その犯人は、もしかして――」
 千代丸は小さな声で「はい」と言う。誰であるかの説明はいらなかった。そう、俺が考える心当たりの人物がひとりだけというのを千代丸は知っているからだ。
「ゲンさんには恩があります。拙者、その恩を返したいのです。それでなのですが、ボロス殿の指示を今すぐお聞かせください」
 千代丸の目には決意がこめられていた。そして、俺も千代丸と同じ気持ちだ。
「じゃあ、千代丸。先に俺がいくつか質問する。まずはそれを答えてくれ。まずひとつ。大輝という子供の心をお前は読めたんだな?」
「はい、ゲンさんたちを救うためですから。彼が考えたことのほとんどは記憶しています」
「じゃあ、二つ目。お前は人間にも変化できるんだな? 最大で変身できる時間はどのくらいだ?」
「人間に変化はできますが不完全です。尾が出ますから……調子が悪い時はヒゲも。変化できる時間は五分ぐらいです。それ以上は強制的に変化が解けます」
「黒犬の時、声真似もできると言っていたよな。犬だけじゃなく、人間でも声真似は可能か? それと、今日の体調は万全か?」
「人間の声真似もできます。体調は万全です。けれど、ボロス殿の意図がわからないのですが……先程、あの少年の父親に変化してガツンと言ったら、こじれると言っていたのに」
 千代丸の考えの中には、俺が変化させようとしている人物が存在しないらしい。それもそのはず。子供を暴力という圧力で更生させようと思っている者は考えもつかないだろう。俺が変身させようとしている者は、あの子供が一番声を聞きたいと思っている者だからだ。
「教えるから、ちょっと耳を貸せ。そして、この作戦はお前が居てできることなんだ。千代丸、お前の忍術は使いようによっては、ゲンさんと子供を救うことができるんだよ」
「拙者の忍術で両方をですか?」
 おそらく千代丸は、自分の忍術に自信を持っていなかったのだろう。問題にぶつかり、今まで苦労して忍術を習得してきた意味があるのかと悩み続けていたに違いない。
「千代丸。もっと自信を持て! 自信過剰もいけないが、自信を喪失しすぎても頭が働かなくなるぞ!」
 俺が千代丸に発破をかけたのには訳がある。それは千代丸の欠点を知っているのと、街にきた理由を知っているからだ。
 千代丸の欠点。それは調子にのると暴走すること。肝心要の時に退いてしまうこと。
 そして、決まって二つの欠点が出る時がある。暴走癖が出るのは俺がいる時。退いてしまうのは俺がいない時だ。
 そう、千代丸が街に出てきた理由は一人前の忍びになることだった。つまり、この欠点を打開することは、俺に頼り切っている千代丸を一人前にさせることにつながるのだ。
 危険認知能力がない千代丸は、俺がいると安心しきって失敗を繰り返す。
 そのためには、ひとりでも出来る。ひとりでも責任もって頑張る。困難も自ら撥ね退ける力を得て、そして、自分だけが持っている誇れる力を知ることができなければいけない。
「作戦を伝えるから耳を貸せ。そして、自分ひとりで必死に考えて、改善していく経験も知識も得ないとな」
 耳を垂れ下げ、涙目になっている千代丸の背中を叩く。
 そして、俺の案を伝えると、千代丸は鳩が豆鉄砲を食らったように驚いた顔をした。
「いや、それをしたら逆におかしなことになるのでは? だって……」
「その、だっての後が重要なんだよ。有り得ないからこそ、出来なかったことなんだから。そして、先を考えてみな。あの子供の気持ちになりながら。さあ、どうなる?」
「どうなるって……それはもう……ああっ!」
 どうやら、千代丸も俺と同じ結論に至ったらしい。これなら、これ以上の入念な作戦会議は必要なさそうだ。
 俺と千代丸の声で起きたのだろう。ピヨが不機嫌そうな目で見ている。いや、相変わらずピヨの瞳からは心が読み取れないので、勘でそう思っただけだけど。
「ピヨピー……ピヨピピー……」
「ピヨ殿も協力できることはしてくれるそうです」
 ――そうなのか? 泣き声も不機嫌そうだけど。千代丸は心を読めるんだから信じるか。
 騒動を収めるのではなく、事態を解決するために決意を新たにする。
 その時、外から小枝が折れる音がした。続けて葉が揺れる音。
「きました。あの子供です」
 千代丸が言ってから息を殺す。ビニールを隔てていてもわかる。あの子供の、抑え切れない引き裂かれるような心の叫びが聞こえていた。