ボロスとピヨのてんわやな日常

 少年の手で投げられた石は、ゲンさんに勢いよく向かっていった。またぶつかって大怪我をするのではないか。そう思って俺は、顔を伏せようとする。
 しかし、怒りの形相のミズさんが前に出て、飛んできた石を受けとめていた。
「このクソガキどもが……」
 先程まで温厚だったミズさんの額に青筋が浮かんでいる。そして、投げつけられた石を持ったまま、ミズさんは振りかぶった。
 ――反撃するつもりだ。そんなミズさんの行動を予測していなかったのか、子供たちの顔が恐怖で引き攣る。
 この一触即発の状況をとめることはできそうにない。そう思ったら、ゲンさんがミズさんの腕をつかんでとめていた。
 誰かにとめられるとは思っていなかったのだろう。ミズさんは驚いた様子で、制止したゲンさんを凝視する。ゲンさんは、ただ静かに首を横に振ってみせた。
 最高点まで達していた悪意ある感情が収縮していくのを、俺は感じ取っていた。
 その経過が少年にとっては期待はずれだったのだろう。俺たちに興味をなくしたのか、もう一つ持っていた石を投げ捨てて舌打ちをした。
「なんだよ、攻撃してくるんじゃないのかよ。根性なしめ。おい、出来損ないは放っておいて、学校に行こうぜ」
 少年の指示で他の子供たちも一人二人と去っていく。そんな子供たちの姿が見えなくなるまで、ミズさんとゲンさんは睨み続けていた。
 二人の緊張が解けたのは、子供たちの姿が見えなくなって一分経った頃だった。
「とめてくれてありがとう。ゲンさん……怒りに任せて間違いを犯すところだった」
 ミズさんがゲンさんに頭を下げながら礼を言う。ゲンさんは微かに笑いながら答えた。
「いや……俺はもう、どんなに頑張っても引き返せない人生だからさ。そんな俺のためにミズさんが、これからの人生を捨てるようなことはしなくていいんだよ。ガキどもだって、いつかはわかるさ。自分たちがしていることが、どれだけ虚しいことなのかって」
 そう言いながら、ゲンさんは千代丸を撫で、そして、俺とピヨと順番に撫でてくれた。
「さあ、気を取り直して、お勤めにいくぞ。トモ。今日は燃えないゴミの日だ。いつもの役目を頼むぞ」
 ゲンさんがそう言うと、千代丸は「にゃーご」と返事をする。ミズさんも落ち着きを取り戻したのだろう。先程あったことが嘘のように、
「俺もそろそろ行くよ。そして、今晩は一杯やろうや」
 そう言いながら、酒を飲む身振りをした。
 ミズさんは作業着に着替え、ゲンさんは自転車を出してくる。その自転車の荷台に、千代丸は飛び乗っていた。ここで待っているのもなんなので、俺も続けて飛び乗る。
「おっ、お前さんもくるか? ……っと、名前がないのも不便だな。じゃあ、お前さんは仲間のナカにしようか」
 俺が仲間のナカなら、千代丸のトモは友達から取ったのだろうと、なんとなく思った。
「気をつけて行ってこいよ」
「おうっ! ミズさんも無理すんなよ」
 ゲンさんとミズさんは言葉を交わしてから、それぞれの仕事に向かう。
 長い間使っている自転車なのだろう。ゲンさんがペダルをこぐ度に、金属が軋む音を立てた。車輪も寿命が近いのだろう。揺れが激しい。
 自転車に乗るのがはじめてな俺は、居心地を悪く感じて居住まいを正した。そんな俺の動きが気になったのか、千代丸が口を開く。
「ゲンさんは連帯保証人とかいうやつで、弟さんの借金を背負ったそうです。家に住んでも怖い人がくるらしく、安心して眠れないそうです。ミズさんは働いていたところが倒産したらしく、職を失って家賃も払えなくなったそうです。年が年で、固定した住所もないので就職しにくいとか。ただ、働く意思もあるし、人に迷惑もかけたくないので、生活保護とかいうやつも受けたくないそうなんです」
 千代丸が長々とゲンさんとミズさんの説明をする。
 人間のことは俺にはよくわからない。けれど二人とも、ホームレスになりたくてなったわけではないということは理解できた。
「ミズさんは日雇いの仕事をしているそうです。工事現場の仕事って言っていたかな」
「難しいな。人間も……で、あの子供は何故、そんなゲンさんたちを目の敵にするんだ?」
 石を投げた子供は「死ね」とまで言っていた。あそこまでの憎しみを持つなど、相当のことがない限り理解できない。
「吾輩にもわかりません。人間というか、都会のことには疎いので……ただ、ゲンさんたちは理由を知っているみたいなんですよね。あっ!」
 話の途中で千代丸が何かに気づいて「にゃわーん」という変わった声を出す。ほぼ同時に、ゲンさんは自転車を停め、千代丸の視線の先を辿っていた。
 草が生い茂った空き地に、二つのビニール袋がある。その口を開けたゲンさんは、子供のような笑顔を浮かべて俺たちを見た。
「でかしたトモ! 食器が入っていたぞ。まだ箱に入っているコップもある。これは売りにいけそうだな」
 ゲンさんの姿を見ながら、俺たちが餌を確保することに似ているなあ。と考える。
 腹を満たす物を探す生活だからだ。見つからなければ死活問題。ゲンさんも、俺たち野良猫と同じように不安な日々を過ごしているに違いない。
「ボロス殿も、お金になりそうな物を見つけたら、ゲンさんに教えてくださいね。ピヨ殿もよろしくお願いします。儲け次第では、魚の缶詰とかも貰えるので、頑張りましょう!」
「本当かっ! よし、ピヨ。俺にためにも、そのチート能力をいつも以上に発揮しろ」
 魚と聞くと、気分が悪いのも吹き飛んでしまうというのが猫の性というやつで。
 その日の儲けはいつもより多かったようで、帰る途中でゲンさんは俺たちの餌を多めに買ってくれたのだった。