欺くつもりはなかった。ただ、衝突を避けるために、事実を伝えなかっただけだ。
しかし、経過がどうあれ、相手がそう思ってしまえば、それは相手には事実となる。
つまり、俺が欺くつもりではなくても、相手が欺くつもりだったのだと思ってしまえば、それまでとなる。
その時だ。遠くから、聞いた覚えのある声が聞こえてくる。「兄貴」「親分」と言っているのは、間違いなくクロの子分であるヤミとスミだ。
一体、クロがここにいるとどこから情報を得たのだろうか。クロに駆け寄ったヤミとスミは美姫を睨みつけたが、気迫に圧倒されてすぐに目をそらした。
自分たちより大きな体のクロを運ぶのに難儀しながら、二匹でクロを背負って歩を揃えながら去っていく。
その様子を見ながら、美姫は声をかけることもなく黙って見届けていた。
そして、場の空気を読み取ったのだろう。美姫は未だに不安そうにしているカギとハナを見た。
「カギとハナにはとんだ災難だったね。あいつがまた力で訴えてきたら、私に言いな。すぐに駆けつけてあげるから。カギはハナをうちに送り届けてあげられるね?」
強い言葉に反して穏やかな口調の美姫の質問に、カギは間を置くことなく首肯する。
この騒動でカギとハナは互いの想いを更に深めていくことだろう。奥手のカギのことだから、一気に進展というわけにはいかないだろうけど。
カギとハナは美姫と俺たちに礼を言うと、肩を寄せ合いながら家に帰っていった。
そして、残ったのは俺とピヨと美姫だけ。
俺は美姫が話を切り出す前に説明したほうがはやいと思い、整理した文面を言葉にするため口を開いた。
「ボロスは仲間に言われている名前で。ロを抜いたらボスになるから、俺には出来すぎた名前だと思っているんです。それで普段、人間に呼んでもらっている名前のほうを……」
言ったのは嘘や誤魔化しではなく、本当のことだ。俺はむしろ、愛奈がつけてくれたチョビという名前が気に入っている。一応説明するけど、愛奈ちゃんがつけてくれた名前だからという理由が一番じゃないからな。見た目だけの名前ではなく、カッコよさも含まれていない。普通の名前が良いというだけで。
しかし、美姫は俺の説明を聞くこともなく、顔を近づけて俺の臭いを嗅いでいた。
突然のことだったので、緊張と不安で鼻とヒゲがピクピク動いてしまう。
「言われてみると、あいつの臭いが微かにするね」
確認し終えた美姫の表情は、険悪なものに変化していた。
説明の意味がなかったー。そうだ。俺たち猫は臭いで情報を得るのだ。俺はそんな重要なことを失念していたのである。
どうやら美姫は、自分の推理から真実を見極めようとしているらしい。そこで俺は思った。美姫の男嫌いの理由は、今まで男に騙されてきたからではないかと。そして、その一番の怒りの対象者が親父ではないかと。
ここで「あいつとは誰ですか?」と聞くべきだろうか。いや、美姫は頭がいい。何となく、俺の素性は把握しているだろう。聞けば直接的な問いをされる恐れもある。
どうしたらいいのか悩んでいると、
「クロとスミは、わしが呼んできたんだよ。あー……そして、姫ちゃん久しぶり」
背後から親父の声が聞こえた。その瞬間だった。物凄い風圧が俺の頬のすぐ近くを通り過ぎる。あっ、と思って振り返った時には、俺の背後にいるはずの親父の姿はなかった。
――って、何で美姫の右の猫パンチが霊体の親父に当たってるの? あれが俺の頬の近くを通ったの? 当たっていたら俺は……。
三点リーダーの経過中に、いろいろ想像しながら嫌な汗をかく。
「この唐変木が! 事故に遭って酷い目に遭ったと聞いていたけど無事だったのなら、顔ぐらい見せな。一体、あんたは誰をここまで心配かけさせたと思っているんだい!」
今まで淡々と話していた美姫のセリフのスピードが異常にはやい。しかも頬が赤く染まっているような気が。
それなのに、なんで思いっきり親父を叩いたんだ? 意味がわからない。
親父はというと、空中で制止すると浮遊しながら戻ってくる。
「違う違う。無事じゃないよ。わし、死んでるし。今のわしは幽霊なんだよ。しかし、姫ちゃんの性格は相変わらず。見事なまでのツンデレ――」
「もう一回殴られたいかい? ……って、幽霊ってどういうことだい?」
「ついでにボロスは、最後の嫁の子どもだ。わしと名前が同じなので、守護霊をさせてもらっている」
立て続けに親父に話されるので、美姫は混乱しているようだ。いや、幽霊という存在が奇異なものに、前カレがなっていること自体、普通の者なら理解できないのが当然というわけで。そして、俺も同じように混乱していたりする。
「あのさ……美姫さんの男嫌いって、親父が原因じゃないの?」
次に困惑したのは親父と美姫だった。互いに目を合わせてから、美姫の代わりに親父が口を開く。
「なんで、そんなことになっとるんだ? わしにも少しは理由があるかもしれんが、姫ちゃんの男嫌いの理由は家猫だからだよ。家猫が子どもを産んでしまうと、後々、飼い主との関係が難しくなるからな」
聞いて思い出した。そういえば、美姫は家から出る時、ものすごく周囲を警戒して出てきたっけ。あれは、急いでいる時に変な男に言い寄られないための警戒だったのだ。
「ええっと……じゃあ何で親父は美姫と会うのを躊躇っていたんだ?」
「だって、会うの二年ぶりなんだもの。それに、わし幽霊だし。なんて話しかけたらいいのかわからないじゃない」
美姫に続いて、今度は親父が浮遊しながら頬を染め、右と左の人差し指を合わせながら、小さな声で言う。
なに? この微妙な親父と美姫の関係。まるで初恋をした者同士状態じゃないか。
俺は、こんな二匹に振り回されていたわけ?
すこしイラッとしながらも、自分の勘違いから始まったことなので、ぐっと我慢する。
「ピッピー……」
その時だった。ピヨが薄目を開いた状態で弱々しい声を出すと、いきなり倒れた。
「おい、どうしたピヨ。大丈夫か?」
様子を見ようと触れてみると、いつもより体温が高い。すぐに熱が出ているとわかった。
ピヨが体調を崩した原因、思いあたる点はある。
「まさか……田舎に行って病気をもらってきたとかじゃないよな」
そうだとすると、命の危険にさらされる可能性が高い。
ピヨが死ぬ? あのチート設定のピヨが?
想像もしていなかった展開に、俺はどうしていいのかわからずに立ち尽くすだけだった。
しかし、経過がどうあれ、相手がそう思ってしまえば、それは相手には事実となる。
つまり、俺が欺くつもりではなくても、相手が欺くつもりだったのだと思ってしまえば、それまでとなる。
その時だ。遠くから、聞いた覚えのある声が聞こえてくる。「兄貴」「親分」と言っているのは、間違いなくクロの子分であるヤミとスミだ。
一体、クロがここにいるとどこから情報を得たのだろうか。クロに駆け寄ったヤミとスミは美姫を睨みつけたが、気迫に圧倒されてすぐに目をそらした。
自分たちより大きな体のクロを運ぶのに難儀しながら、二匹でクロを背負って歩を揃えながら去っていく。
その様子を見ながら、美姫は声をかけることもなく黙って見届けていた。
そして、場の空気を読み取ったのだろう。美姫は未だに不安そうにしているカギとハナを見た。
「カギとハナにはとんだ災難だったね。あいつがまた力で訴えてきたら、私に言いな。すぐに駆けつけてあげるから。カギはハナをうちに送り届けてあげられるね?」
強い言葉に反して穏やかな口調の美姫の質問に、カギは間を置くことなく首肯する。
この騒動でカギとハナは互いの想いを更に深めていくことだろう。奥手のカギのことだから、一気に進展というわけにはいかないだろうけど。
カギとハナは美姫と俺たちに礼を言うと、肩を寄せ合いながら家に帰っていった。
そして、残ったのは俺とピヨと美姫だけ。
俺は美姫が話を切り出す前に説明したほうがはやいと思い、整理した文面を言葉にするため口を開いた。
「ボロスは仲間に言われている名前で。ロを抜いたらボスになるから、俺には出来すぎた名前だと思っているんです。それで普段、人間に呼んでもらっている名前のほうを……」
言ったのは嘘や誤魔化しではなく、本当のことだ。俺はむしろ、愛奈がつけてくれたチョビという名前が気に入っている。一応説明するけど、愛奈ちゃんがつけてくれた名前だからという理由が一番じゃないからな。見た目だけの名前ではなく、カッコよさも含まれていない。普通の名前が良いというだけで。
しかし、美姫は俺の説明を聞くこともなく、顔を近づけて俺の臭いを嗅いでいた。
突然のことだったので、緊張と不安で鼻とヒゲがピクピク動いてしまう。
「言われてみると、あいつの臭いが微かにするね」
確認し終えた美姫の表情は、険悪なものに変化していた。
説明の意味がなかったー。そうだ。俺たち猫は臭いで情報を得るのだ。俺はそんな重要なことを失念していたのである。
どうやら美姫は、自分の推理から真実を見極めようとしているらしい。そこで俺は思った。美姫の男嫌いの理由は、今まで男に騙されてきたからではないかと。そして、その一番の怒りの対象者が親父ではないかと。
ここで「あいつとは誰ですか?」と聞くべきだろうか。いや、美姫は頭がいい。何となく、俺の素性は把握しているだろう。聞けば直接的な問いをされる恐れもある。
どうしたらいいのか悩んでいると、
「クロとスミは、わしが呼んできたんだよ。あー……そして、姫ちゃん久しぶり」
背後から親父の声が聞こえた。その瞬間だった。物凄い風圧が俺の頬のすぐ近くを通り過ぎる。あっ、と思って振り返った時には、俺の背後にいるはずの親父の姿はなかった。
――って、何で美姫の右の猫パンチが霊体の親父に当たってるの? あれが俺の頬の近くを通ったの? 当たっていたら俺は……。
三点リーダーの経過中に、いろいろ想像しながら嫌な汗をかく。
「この唐変木が! 事故に遭って酷い目に遭ったと聞いていたけど無事だったのなら、顔ぐらい見せな。一体、あんたは誰をここまで心配かけさせたと思っているんだい!」
今まで淡々と話していた美姫のセリフのスピードが異常にはやい。しかも頬が赤く染まっているような気が。
それなのに、なんで思いっきり親父を叩いたんだ? 意味がわからない。
親父はというと、空中で制止すると浮遊しながら戻ってくる。
「違う違う。無事じゃないよ。わし、死んでるし。今のわしは幽霊なんだよ。しかし、姫ちゃんの性格は相変わらず。見事なまでのツンデレ――」
「もう一回殴られたいかい? ……って、幽霊ってどういうことだい?」
「ついでにボロスは、最後の嫁の子どもだ。わしと名前が同じなので、守護霊をさせてもらっている」
立て続けに親父に話されるので、美姫は混乱しているようだ。いや、幽霊という存在が奇異なものに、前カレがなっていること自体、普通の者なら理解できないのが当然というわけで。そして、俺も同じように混乱していたりする。
「あのさ……美姫さんの男嫌いって、親父が原因じゃないの?」
次に困惑したのは親父と美姫だった。互いに目を合わせてから、美姫の代わりに親父が口を開く。
「なんで、そんなことになっとるんだ? わしにも少しは理由があるかもしれんが、姫ちゃんの男嫌いの理由は家猫だからだよ。家猫が子どもを産んでしまうと、後々、飼い主との関係が難しくなるからな」
聞いて思い出した。そういえば、美姫は家から出る時、ものすごく周囲を警戒して出てきたっけ。あれは、急いでいる時に変な男に言い寄られないための警戒だったのだ。
「ええっと……じゃあ何で親父は美姫と会うのを躊躇っていたんだ?」
「だって、会うの二年ぶりなんだもの。それに、わし幽霊だし。なんて話しかけたらいいのかわからないじゃない」
美姫に続いて、今度は親父が浮遊しながら頬を染め、右と左の人差し指を合わせながら、小さな声で言う。
なに? この微妙な親父と美姫の関係。まるで初恋をした者同士状態じゃないか。
俺は、こんな二匹に振り回されていたわけ?
すこしイラッとしながらも、自分の勘違いから始まったことなので、ぐっと我慢する。
「ピッピー……」
その時だった。ピヨが薄目を開いた状態で弱々しい声を出すと、いきなり倒れた。
「おい、どうしたピヨ。大丈夫か?」
様子を見ようと触れてみると、いつもより体温が高い。すぐに熱が出ているとわかった。
ピヨが体調を崩した原因、思いあたる点はある。
「まさか……田舎に行って病気をもらってきたとかじゃないよな」
そうだとすると、命の危険にさらされる可能性が高い。
ピヨが死ぬ? あのチート設定のピヨが?
想像もしていなかった展開に、俺はどうしていいのかわからずに立ち尽くすだけだった。



