俺の街に住む誰もが言う。オスは美姫というメス猫に近づくなと。
美姫の情報といえば、大の男嫌いの家猫であり、メス猫たちに絶対の信頼を得ているというものだけ。そのため、オスの中では噂が噂を呼び、伝説のようになっている。
何百年も生きているとか。巨大猫だとか。美姫の猫パンチに触れただけで、お星さまになるとか。言うことを聞かない子猫に母猫が「悪いことをしたら美姫さまがくるわよ」と戒めることも、俺の街では有名な話である。
そんな伝説の猫が存在し、目の前にいるハナと面識がある。それだけでも驚きなのに、美姫と会って、このことを伝えてくれという。
言われたことを理解するのに、しばらく時間を要してしまった。
「えっと……美姫さんって、現実にいるの? かなりオス猫嫌いと聞いたことがあるのですけど。ハナさんは、美姫さんと会ったことがあって、何処に住んでいるのかも知っているってことでございますよね?」
「大丈夫ですか? かなり動揺されているような話しかたですが……無理もないと思いますが」
下を見ながら話した俺を覗きこむように、ハナが話しかけてくる。確かに、俺が美姫の話を聞いて動揺したのは事実だ。しかし、ここ数か月でいろんな騒動に巻きこまれてきた俺にとってみたら、伝説の猫の驚きは一瞬で大したことではなくて。
それ以上に――おわああっ、やっぱり可愛い。いかん。この展開はいかん。これ以上、距離が近づくと、勢いで告白してしまいそうだ。
「えっと……動揺はしてないよ。顔を近づけないでくれたら大丈夫。無理はないない。何とかやっていけると思う。えっと、つまりはその美姫さんという方と会って、このことを話したら何とかできそうということね」
「ピヨー……」
ピヨが目を細くしながら低い声を出して俺を見る。それが今まで強気に語っていた奴の対応か? と、呆れている鳴き声に聞こえたのは俺だけであろうか。
いや、この俺さまがメス猫と話す免疫が少ないはずがないじゃないか。カギの彼女さんだから、手を出しちゃいけないと思っているだけだぞ。俺はクロのように嫉妬深く、貪欲でもないのだ。そう念のために言っておく。
「いろいろな噂がありますからね。けれど美姫さまは、お優しい方なのです。会うのが嫌だというのなら、ボロスさんに無理強いは致しません」
無理強いは致しませんと言っているが、それは本心ではないだろう。駆け寄ってきてまでハナは相談してきたのだから。
ハナがカギを想っている気持ちは本物だ。俺は顔をあげた。
「いや、美姫さんに会いに行くよ。カギは俺の親友だからね。しかも餌場も教えてくれた奴だし。助けられるならなんだってするさ。けれど、ここを離れたらクロがカギを攻撃するのを俺はとめることができない。だから俺からもお願いだ。すぐにカギとクロを追いかけて、クロがカギに攻撃を加えることができないような状態にしていてくれないか。さすがにクロも、好みの女性の前で野蛮なことはしないだろうからさ」
「ありがとうございます。ボロスさんって、カギさんの話で聞いた通り素敵な方ですね」
ここでそういえばと気づいた。自己紹介していないのに、ハナちゃん、俺の名前呼んでくれてるじゃん。カギ、俺のことを素敵な奴と紹介してくれていたんだな。やっぱり、お前は凄くいい奴だ。
美姫という猫がいる家をハナに教えてもらう。驚いたことに虎ノ介の家の近くだった。家猫だから家の中にこもっているということだろうか。だから居場所を知ることができないんだな。
「よし、道は覚えた。大船に乗った気持ちで、お任せあれ。ピヨ、話は聞いたな。行くぞ」
「ピヨッピッ」
はっきりとした返事をしてから、ピヨは俺の背中に乗る。ハナちゃんが抑えてくれるとは言っても、クロのあの性格だ。カギが喧嘩をうられることは避けられないだろう。
最悪の事態を避けるためにも、はやく美姫という猫に会って連れてこなければならない。
一体、美姫とはどのような猫なのか。会う前から不安が付き纏うが、これも親友のため、ひとつの出会いと思うことにする。
その時だ。
「あー、ボロスくん。ひじょうに言い難いことなのだが……」
街に入ってから、ずっと黙っていた親父が、前振りもなく俺に話しかけてきた。
「美姫という猫。わしも面識があるのだよ。五年前には三帝王と呼ばれていたもんだ。ひとりはわし。もうひとりが美姫。そして西の帝王のハクジャ」
「はああっ? そんなの初耳だぞ」
「そりゃそうだろう。今話したのだから」
ということは、親父も伝説の猫のひとりなのか。何だか一気に信仰的な印象が薄れたな。
とにかく、何があっても急がなければいけないという状況は変わらない。俺は駆けながら、親父の話を聞くことにした。
「で? 親父と、その美姫って、一体どういう関係だったんだ?」
カギと一緒にきた近道を利用して、いつもの半分の時間で隣町の境までくる。ここからは俺の土地勘がものをいう。目的地まであと二分もかからないはずだ。
「うむ……言い難いことなのだが、わしが前に言った十三匹目の相手の一番目。それが彼女なのだよ」
「ふあえあえーっ!」
あってはいけない。いや、考えたくもない親父の言葉を聞いて、俺は自分でも驚くような頓狂な叫びをあげてしまっていた。
美姫の情報といえば、大の男嫌いの家猫であり、メス猫たちに絶対の信頼を得ているというものだけ。そのため、オスの中では噂が噂を呼び、伝説のようになっている。
何百年も生きているとか。巨大猫だとか。美姫の猫パンチに触れただけで、お星さまになるとか。言うことを聞かない子猫に母猫が「悪いことをしたら美姫さまがくるわよ」と戒めることも、俺の街では有名な話である。
そんな伝説の猫が存在し、目の前にいるハナと面識がある。それだけでも驚きなのに、美姫と会って、このことを伝えてくれという。
言われたことを理解するのに、しばらく時間を要してしまった。
「えっと……美姫さんって、現実にいるの? かなりオス猫嫌いと聞いたことがあるのですけど。ハナさんは、美姫さんと会ったことがあって、何処に住んでいるのかも知っているってことでございますよね?」
「大丈夫ですか? かなり動揺されているような話しかたですが……無理もないと思いますが」
下を見ながら話した俺を覗きこむように、ハナが話しかけてくる。確かに、俺が美姫の話を聞いて動揺したのは事実だ。しかし、ここ数か月でいろんな騒動に巻きこまれてきた俺にとってみたら、伝説の猫の驚きは一瞬で大したことではなくて。
それ以上に――おわああっ、やっぱり可愛い。いかん。この展開はいかん。これ以上、距離が近づくと、勢いで告白してしまいそうだ。
「えっと……動揺はしてないよ。顔を近づけないでくれたら大丈夫。無理はないない。何とかやっていけると思う。えっと、つまりはその美姫さんという方と会って、このことを話したら何とかできそうということね」
「ピヨー……」
ピヨが目を細くしながら低い声を出して俺を見る。それが今まで強気に語っていた奴の対応か? と、呆れている鳴き声に聞こえたのは俺だけであろうか。
いや、この俺さまがメス猫と話す免疫が少ないはずがないじゃないか。カギの彼女さんだから、手を出しちゃいけないと思っているだけだぞ。俺はクロのように嫉妬深く、貪欲でもないのだ。そう念のために言っておく。
「いろいろな噂がありますからね。けれど美姫さまは、お優しい方なのです。会うのが嫌だというのなら、ボロスさんに無理強いは致しません」
無理強いは致しませんと言っているが、それは本心ではないだろう。駆け寄ってきてまでハナは相談してきたのだから。
ハナがカギを想っている気持ちは本物だ。俺は顔をあげた。
「いや、美姫さんに会いに行くよ。カギは俺の親友だからね。しかも餌場も教えてくれた奴だし。助けられるならなんだってするさ。けれど、ここを離れたらクロがカギを攻撃するのを俺はとめることができない。だから俺からもお願いだ。すぐにカギとクロを追いかけて、クロがカギに攻撃を加えることができないような状態にしていてくれないか。さすがにクロも、好みの女性の前で野蛮なことはしないだろうからさ」
「ありがとうございます。ボロスさんって、カギさんの話で聞いた通り素敵な方ですね」
ここでそういえばと気づいた。自己紹介していないのに、ハナちゃん、俺の名前呼んでくれてるじゃん。カギ、俺のことを素敵な奴と紹介してくれていたんだな。やっぱり、お前は凄くいい奴だ。
美姫という猫がいる家をハナに教えてもらう。驚いたことに虎ノ介の家の近くだった。家猫だから家の中にこもっているということだろうか。だから居場所を知ることができないんだな。
「よし、道は覚えた。大船に乗った気持ちで、お任せあれ。ピヨ、話は聞いたな。行くぞ」
「ピヨッピッ」
はっきりとした返事をしてから、ピヨは俺の背中に乗る。ハナちゃんが抑えてくれるとは言っても、クロのあの性格だ。カギが喧嘩をうられることは避けられないだろう。
最悪の事態を避けるためにも、はやく美姫という猫に会って連れてこなければならない。
一体、美姫とはどのような猫なのか。会う前から不安が付き纏うが、これも親友のため、ひとつの出会いと思うことにする。
その時だ。
「あー、ボロスくん。ひじょうに言い難いことなのだが……」
街に入ってから、ずっと黙っていた親父が、前振りもなく俺に話しかけてきた。
「美姫という猫。わしも面識があるのだよ。五年前には三帝王と呼ばれていたもんだ。ひとりはわし。もうひとりが美姫。そして西の帝王のハクジャ」
「はああっ? そんなの初耳だぞ」
「そりゃそうだろう。今話したのだから」
ということは、親父も伝説の猫のひとりなのか。何だか一気に信仰的な印象が薄れたな。
とにかく、何があっても急がなければいけないという状況は変わらない。俺は駆けながら、親父の話を聞くことにした。
「で? 親父と、その美姫って、一体どういう関係だったんだ?」
カギと一緒にきた近道を利用して、いつもの半分の時間で隣町の境までくる。ここからは俺の土地勘がものをいう。目的地まであと二分もかからないはずだ。
「うむ……言い難いことなのだが、わしが前に言った十三匹目の相手の一番目。それが彼女なのだよ」
「ふあえあえーっ!」
あってはいけない。いや、考えたくもない親父の言葉を聞いて、俺は自分でも驚くような頓狂な叫びをあげてしまっていた。



