百戦錬磨のこの俺が、生まれたてのヒナに遅れをとるとは情けない。
「指球も掌球も手根球もやられたあ……」
 目の前のヒナは、痛みでのたうちまわっている俺を見下ろしながら得意気に鼻をならす。
 そして、またヒナは俺の尾のほうに行くとしがみついた。
 ――えっと、これはどういう反応だ? 何故、俺の尾にだけ慣れている?
 しばらく悩む。離れないのであれば食うには好都合だ。しかし、攻撃してまた六連コンボを与えられたらたまらない。なにせ、俺の肉球は繊細さんだからな。いつもしっかり奇麗に舐めてケアしているのである。
 しかし、この懐きようは、まるで俺の尾が親でもあるかのような……。
「親っ!」
 思考時間が途切れ、一気に結論へと導かれる。
 俺はこいつが生まれた時にどうしていた? 背中を向けて煮干しを捜してしていたはずだ。その時、こいつが生まれた。つまりこれは――。
「刷り込みか」
 つまりこいつは防衛本能を俺の顔を見てむき出しにし、生まれてはじめて見た俺の尾を親と思い込んでしまっているのである。
「いやいや、逆に謎が解けたのならチャンスだ。素早く動いて食ってしまえばいい」
 味わうことはできなさそうだが、こんな奴に構っている時間の余裕など俺にはないのだ。
 ヒナは俺の尾に夢中だ。俺は尾に微妙な力加減をしながら巧みに動かした。ヒナが尾の動きに夢中になっているのを見計らってパクリと頭から食べてしまうという算段である。計画通り、ヒナは動く俺の尾を追いかけながら嬉しそうに飛び跳ねている。よし、今だ!
 振り向きざま、ヒナに向かって大口を開けて突撃する。本日の朝食ご馳走さまです。
 と、思った瞬間、俺の額に「ドスズプリ」という妙な音がした。
「うぎゃああっ! 今度は今度は、額をやられた。ドスズプリっていう擬音語はありえなくないかー。ないでしょ!」
 ヒナはというと俺に六連コンボ攻撃をした先程と同じように、得意げに鼻を鳴らす。
 いや、その姿は朝日を背に受けているために神々しくも見えた。
「いや、ちょっと待て待て、俺っ! 餌に感心してどうする」
 とはいえ、完全にヒナにペースを握られている。これでは、鳥の天敵は猫であるという定説すら覆されかねない。そうだ。これは鳥界と猫界のどちらが上か、主権を決める戦争でもあるのだ。猫代表として、俺は絶対に負けるわけにはいかない。そう奮い立たせてみる。
「相手の心を読め。考えるな、感じるんだ。雑念を捨てて風になれ」
 しかし、ヒナの濁りのない黒い瞳には一点のスキも見えない。どこから攻撃しても「やられる!」という危機感が生じてしまう。しばらくヒナと睨みあった後、俺は息を吐いた。
「おい、お前ありがたく思え。この俺がな、敵に塩を送るというのはあまりないことなんだ。今日だけは朝飯を食ったことは許してやる。だから、俺のいうことを聞け。いいな」
 ヒナは「ピヨ!」と鳴きながら首を縦に振る。
 ――おおっ、なんか今までにない反応じゃね?
 と、思ったら、すぐにヒナは俺の尾に抱きついた。取り敢えず俺は残った朝飯に口をつける。とにかく体力をつけないと、その弱さに付け込まれて他のオスに餌場を取られかねないからだ。ヒナはというと、散らばったご飯粒をつつきはじめた。
「くそっ、俺はな。自由奔放な一人身でいるつもりだったんだよ。それが……」
 きっと、きっといつかこいつを食ってやるという気持ちと、こいつと一緒にこれから生活してどうなるんだろうという妙な考えが混同する。
「考えても仕方ないか。いつでも明日がどうなるのかわからないまま過ごしてきたんだ」
 ヒナは散らばったご飯粒を食べ終えると、まぶたを薄く閉じはじめた。今なら食えそうだと思ったが、やめた。腹がいっぱいだからな。どうせなら空腹の時に、じっくりと味わいたい。
「名前がないと不便だな。鳴き声をとって、そのままピヨでいいか」
 ピヨの寝顔を見ているうちに眠くなってきた俺は、そのまま睡魔に逆らうことなく目を閉じた。