大丈夫、気づかれていない。
今は、直臣さんは私のことではなく、自分のことしか――余裕が無いはず。
「直臣さん、疲れてるでしょ? 家でゆっくりしたいと思うから忠臣さんの家にお邪魔しようかな」
「了解」
先日、頭を過った『まだ帰りたくない』みたいな安い言葉はもう浮かんでこなかった。今日は、特にそれは無駄になるし。
タクシーを降りると、マンションの横の小さなお酒屋さんでワインとおつまみを数点買い込む。
お洒落で、煉瓦に蔓が伸びている小さな家みたいなお店の中に、ワインがいっぱい並んでいる。レジのカウンターには、おつまみにチーズやサラミ、ハムなども置いてあって、直臣さんのお気に入りのお店だ。
一階のオートロックの鍵を開けてエレベーターに乗り込むと、微かに漂う香水はやっぱり彼らしくない香りだった。
「寝てないの?」
彼が私の頬を撫で、髪を耳にかけると覗きこんできた。
「え」
「目が赤い。兎まではないけどね」



