「今日もいつも通りですね」美園はいつも通りのせりふを言い、茂木は「そうだな」といつも通りの返しをした。
大会が近くない日はほとんどがこんな風にのんびりと部活動開始時刻まで過ごしている。別に部活動を始めていけない訳ではない。ただ、この時間はのんびりする時間といつの間にかなってしまった。しかし、誰も反対はせず、むしろ賛成だった。
「先輩はいつもパッキー食べてますよね。飽きないんですか」美園が笹子に聞く。
「確かに私もそれは気になるな」そう言ったのは茂木だった。
「そりゃあ、飽きるわけないじゃん。私はパッキーに忘れられない思い出があるからね」笹子はパッキーをかじりながら言う。
「へぇー、そうなんですか」
「どんな思い出なんだ」
2人は、笹子をじっと見つめた。
笹子はゆっくりまばたきをして話を始めた。
「あれはね、たしか東京では珍しい大雪が降った日だったの。辺り一面雪だらけでね。まだ3歳だった私は初めての雪に大興奮で雪の上を駆けて、気づいたら知らない場所に1人でいてね」
その話を美園と茂木は、それは大変ですね、などと相槌を打ちながら聞いていた。
「そしたら、目の前にね。大きな川が出てきたの。そこで釣りをしている人が1人ぽつんといて、私はさっきまで1人で寂しかったから当然、話しかけたの」
美園と茂木の頭の中には隅田川か荒川にて冬につりをしている1人の老人の姿とそれに話しかける笹子が浮かんだ。
「おじいさん、ここでなにをしているの」
おじいさんは深くため息をついて笹子に言った。
「見て分かるだろ、おじいさんはね、川で釣りをしているんだよ。君はなにしてるんだい」
「私は今ね、道に迷ってるの」
笹子の目には少しの涙が浮かんだ。
「なんだって。道に迷ってるのか。この辺は夜になると暗くてなにも見えなくなる。早く家に帰るった方がいい」老人は笹子の肩をつかんだ。
「でも、私、どうやって家まで帰ればいいか分からない。だって、ジャングルなんて初めてなんだもん」
うんうん。……ん?ジャングル……?
笹子の話を真剣に聞いていた美園と茂木は、聞き慣れない言葉に困惑を隠せなかった。2人は同時に笹子の話を遮る。
「ジャングルってどういうことだよ」
「ジャングルってどういうことですか」
先ほどまで真面目に話を聞いていたはずの2人が突然質問をするので笹子は単純な質問さえも理解できなかった。
「えっ、どういうこと」
「どういうこともなにもジャングルってなんだよ」
「ジャングル?密林でしょ」
「そうではなくてですね。なぜ、急にジャングルで道に迷っているのかと…」
「だから、雪に夢中でどこを駆けてるのか分からなかったんだよ」
「いくら雪だからって流石にそんな遠くまで行けないだろ」
「そうですよ。そもそも日本にジャングルなんてあるんですか」
2人の質問責めに笹子はうろたえた。「いや…、でも、それは…」
「そもそもさ、3歳でそんな距離を歩けること自体おかしいかと」
さっきまで黙っていた片山が急に声を出した。もちろん、あの姿勢のままで。
「確かによく考えてみるとそうですよ」
笹子は自分の立場の悪さにあわあわしていた。そして、時計をみるなり
「あ、もう部活の時間ではないか、よし活動開始ー」
と、言って一目散に外へ出て行った。
それを見て、片山は「突撃ー!」と言って、外へ。茂木は「おい、スタブロくらい持ってけよな」と言ってスタートブロックを持って外へ。美園は「話を誤魔化さないでくださいよ」と言って、記録ノートを持ち外へ出た。
今日の天気は晴れのち曇り。部活が始まる頃には雲が空を隠し、体育着から出ている肌にもうすぐで夏本番と思わせないような冷たい風の槍がささる。今日の夕陽は期待できそうになかった。

