それまで隠れていた月が雲の間から顔を出し、彼女の横顔を青白く照らした。
星を見上げるその目には、迷いと不安があった。
でも、さっきまでのような怯えはないように見えた。
『気分転換に……ドライブでも行く?』
彼女は「いいの?」というような表情で僕に目で訊いてきた。
僕はその後の彼女の言葉を察して「いいよ」と頷いた。
僕は彼女を助手席に乗せた。
僕の隣にはいつも美貴が乗っていたから、千鶴がそこにいることは新鮮な感覚だった。
美貴よりも背が低くて華奢な千鶴は、運転をしていると視界の隅にも映らなかった。
僕は車を高速道路の方に向かわせていた。
『どこか行きたい場所とかある?』
千鶴は首をかしげて少し困ったような表情だった。
「私、まだこっちに出てきて1か月くらいなの……そっちに任せる」
『そっち?』
「うん、そっち……だって名前とかちゃんと聞いてないもん」
『でも"そっち"はさすがに嫌だよ』
「じゃ、どっち?」
そんな彼女の冗談を聞いて僕は少しホッとした。
でも彼女にとってはそれは冗談ではなかったようだった。
『どっちでもないよ』
僕は笑った。
「どうして笑うの?……私は名前を聞いただけだよ?」
『そうだね……俺の名前は智(さとし)だよ』
「智(さとし)?美貴は智(とも)って呼んでなかった?」
『うん、あれはあだ名なんだ(笑)漢字で書くと智(とも)って読めるから』
「そっか、私は千鶴だよ」
それから千鶴は僕のことを"智(さとし)"と呼ぶようになった。
僕のことをそう呼ぶ人は家族以外に初めてのことだった。

