僕はかぶりを振った。
『それより……ベル鳴らしてくれてありがとう。もし、君が鳴らしてくれなかったら……」
声が上手く出なかった。
一度息を整えて、続きの言葉を声にした。
『でも、なんで千鶴はこんなことを……もし、誰もここに住まなかったら……実際、この半年は誰も住んでなかったんだし』
「千鶴ちゃんはきっと……もう一度、ここに帰ってくる気だったんだと思う」
『え?』
「私ね、ずっと前からここに住みたかったんだけど……管理者の人から部屋が空いてないから駄目だって言われてたの」
『え?千鶴はもう半年前に引っ越したんだよ?』
「家賃が半年分……先に支払われてたみたいなの」
僕の手帳を持つ手にグッと力が入った。
「それでもし……半年経っても自分が帰って来れなかったら……せめて、この手帳だけでもあなたに渡したかったんだと思う。だから、この手帳は……持っていかずにここに置いていったのね」
彼女の声は涙混じりだった。
僕は千鶴が最後に僕に言った言葉を思い出していた。
―落ち着いたら、また電話するから。
その言葉は、結果的には嘘になってしまったけど……。
千鶴があの時、どんな気持ちで僕にその言葉を伝えたのか……そのことを考えると胸が痛んだ。
あんなに近くにいたのに、彼女の真実に気付けなかった自分が情けなくて、悔しくて苛立った。

