「智は今日……行くところがあるって言ってたじゃん。」


『そうだけど……いいんだ。すぐに行くから!!』


「駄目だよ、約束は守らなきゃ。それに、もうお父さんが着く頃だと思うし……」


だけど、千鶴は僕を必要としてくれていなかった。

受話器越しにはっきりとそのことが伝わってきた。


『千鶴……どうしてもっと早くに教えてくれなかったのさ』


「……私も急なことでバタバタしてたの。本当は明日……智に言おうと思ったんだけど、行ってから言うのは駄目だなって思って」


『そっか……俺がいつも通り千鶴の家に帰ってれば……』


「ううん。気にしないで……落ち着いたら、また電話するから」


彼女の小さな、だけど、はっきりとした声が受話器越しに聞こえた。

この時、僕はその言葉を聞いて安心し、”待つ”ということに迷いも不安も感じていなかった。

なぜなら、今回は彼女の口から”また電話するから”という約束の言葉をもらって離れるからだ。

行き先も理由も知っている。

それに、”待つ”ということには慣れている。

去年、千鶴が何も言わずに突然いなくなってから、僕はもう二度と会えないかもしれない彼女のことをずっと待っていた。

そのことを思えば、今回の別れは完全な別れではない。

僕たちは約束で繋がっている。

二人には未来があるのだ。

だけどもう一つ、去年と違うことがあった。

この時の僕は、まだその存在の大きさに気付いていなかった。




『……うん。わかった……ごめん。せっかくベル鳴らしてくれたのに行けなくて』


「ううん、いいんだよ。仕方ないじゃない……じゃ早く行ってあげて」


『わかった。じゃ……』


「……うん。じゃまた」




受話器を公衆電話に戻すと同時に、プッシュホンの下からテレフォンカードが勢いよく出てきて、そのことを知らせるピピーピピーピピーという電子音が、真夜中の静かな道路に響き渡った。

僕は車をもう一度Uターンさせて、美貴が居る居酒屋の方へ走らせた。