ぼんやりとした意識の中で一番に捉えたものは、棚の上に置かれた写真立てだった。
あんなの置いてなかったはずなのに。
それは私が小学4年生の時に作ったものだった。
そしてそれは母の日に私がお母さんにあげたもの。
それを境に、次々と思い出される私が大切にされていたという記憶。
誕生日や母の日にあげたものは全て大切にしてくれていた。
実際に使ってくれているのを目にすることもあった。
それに私の誕生日には、必ずプレゼントが置いてあった。
クリスマスも同様に。
その棚の一番上には、何度もお世話になった救急箱。
そこには風邪薬などの常備薬、湿布や冷却シートなどがたくさん入っていて。
私が使うたび減っていくはずなのに、私は一度もそれらを自分で買いに行ったことはない。
きっとお母さんがその都度、補充しておいてくれたのだろう。
お母さんはお母さんなりに自分の言動に苦しみ、心を痛めていたのかもしれない。
そして何より私はお金には不自由したことはなかった。
いつだって多めに机の上に用意されていて。
今だって必要以上に毎月欠かさず生活費として振り込まれている。
引っ越した時だって、すでに必要最低限の家具や家電製品は揃えられていた。
あんなの置いてなかったはずなのに。
それは私が小学4年生の時に作ったものだった。
そしてそれは母の日に私がお母さんにあげたもの。
それを境に、次々と思い出される私が大切にされていたという記憶。
誕生日や母の日にあげたものは全て大切にしてくれていた。
実際に使ってくれているのを目にすることもあった。
それに私の誕生日には、必ずプレゼントが置いてあった。
クリスマスも同様に。
その棚の一番上には、何度もお世話になった救急箱。
そこには風邪薬などの常備薬、湿布や冷却シートなどがたくさん入っていて。
私が使うたび減っていくはずなのに、私は一度もそれらを自分で買いに行ったことはない。
きっとお母さんがその都度、補充しておいてくれたのだろう。
お母さんはお母さんなりに自分の言動に苦しみ、心を痛めていたのかもしれない。
そして何より私はお金には不自由したことはなかった。
いつだって多めに机の上に用意されていて。
今だって必要以上に毎月欠かさず生活費として振り込まれている。
引っ越した時だって、すでに必要最低限の家具や家電製品は揃えられていた。

