思いのままに動かない手をゆっくりと鍵盤の上にのせる。

ボクは思い描く鍵盤を一音一音、ゆっくりと正確におさえていく。
今のボクにとって精一杯のステージ。


もうすぐ、ボクの指はこれすらも出来なくなる。

頭の中に流れるように響き渡るのは
以前のボクの音色。


会場内からのブーイングが聴覚から伝わる。


……駄目……。

今、此処で止めちゃだめ。
ここで止めると後悔が残っちゃう。




そう思うボクの心と、
折れそうになるボクの心が鬩ぎ【せめぎ】あっていく。


暫くは、観客側を見ないように意識して自分の世界に閉じこもっていたけど、
それでも、遮断しているはずの声は、容赦なくボクに突き刺さって行く。


もう……いいよ。
ボクは十分だよね……これ以上は止めないとダメなんだ。
今のボクにはお客さんを満足させられるだけの技量はないんだから。

やっぱり来ない方が良かったのかな。



こんなに責められて、
受け入れて貰えないなら……。


ボクは静かに鍵盤をおさえる手を休めた。


俯いたまま、ゆっくりと全てを感じるように
指先で鍵盤を辿ると静かに椅子を立ち上がる。



……もう……いい。
これでボクのステージも終わったんだ。


ピアノの椅子から立ち上がって、
ステージ中央に向かって歩いていく。

そして会場内を一通りゆっくりと見渡す。
会場内から次々と突き刺さる視線。

軽蔑の眼差し。
その客席の一番後ろ。

ボクは壁にもたれかかるようにして
ステージを見つめている真人の姿を捉えた。


真人……来てくれたんだね。



君が来てくれたなら、
ボクは後少しだけ頑張ってみたいと思う。

君にボクの想いを受け取って欲しいから。


そして叶うなら……もう一度、一緒に演奏したいから。


ボクはもう一度、ピアノの傍に戻ると、
もう一度ゆっくりとお辞儀をする。

他の人がどんなふうに捕らえてもいい。
軽蔑をするならしてもいい。


……だけど……真人にだけは届いて欲しいんだ。


相変わらずボクの音色はたどたどしく、
鍵盤を一つ押すのにも疲れてしまう。



そう思ったときボクの隣には、
警備員をふり切って、ステージの上に上がってきた
真人がゆっくりと腰かけた。


真人の手がボクの動かない指に
優しく触れて……温もりを届けてくれる。



真人が何も言わずにボクに微笑みかける。


幼いあの頃、一緒に真人の家のピアノで練習した時みたいに
真人の合図を受けてボクは、ゆっくりと指を動かしていく。