ピアノコンクール地区大会本選の朝。


ボクは最後の祈りを込めながら、
プレイエルを一時間半ほど触り続けた。


課題曲の二曲は、
どちらも上手く演奏することは出来ない。

指がひきつったように、固まってしまう状態では
思い通りの音色が奏でられないでいた。



課題曲の二曲は、
今のボクにとってはどうでもいいんだ。



真人を誘った……ボク。

真人に最後の演奏を聞き届けて欲しい。
そして……ボクの想いを受け継いでほしい。


自由曲で演奏する、STORYは……
遠い昔、真人と一緒に、神楽小母さんのスタインウェイで原曲を見出した
メロディーがメインフレーズになっているから。



だから真人は……ボクの想いに寄り添ってくれる。
そんな風にも思えた。



真人と再会していなかったら、ボクはもしかしたら、
今回のこの大会も病気を理由に棄権していたかもしれない。


だけど今のボクは、会場内で上手く演奏出来なくて
笑われる恐怖よりも、避難される恐怖よりも、
真人が消えてしまいそうで、そっちの方が怖かった。


そんな真人に、ボクが残せるメッセージは
こんな形でしか思いつかない。


だから神様……どうかボクの願いを真人へと届けて。



「瞳矢、そろそろ準備できたかな」


防音室の重たい扉が外から開けられて、
義兄さんの声が聞こえた。


「今、行きます」


短く告げると、椅子から立ち上がったまま
ピアノの鍵盤にゆっくりと触れる。




ボクのプレイエル……。
どうかボクに力を貸して。


この想いが真人へと届くように。





そんな願いと共にボクは防音室を後にした。

義兄さんの車に、和羽姉ちゃん、母さんとボクが乗り込むと
そのまま車は会場へと走りはじめる。


会場内の駐車場に到着すると、
到着したばかりの車に近づいてくるのは天李先生。



そのままボクは、義兄さんと一緒に天李先生と一度建物の中に消えていく。
向かった場所は、トバジオスホールの上にあるトバジオスホテルの一室。



トパジオスホテル内の一室にある医療室。

その部屋に連れられたボクは、
そのままいつものマッサージを受けて今日の様子を確認する。



伸びきらない指は、相変わらずで
そんな指をゆっくりと包む見込むように優しく、
ボクに力をくれる。



今日この場所で、ボクはどんな演奏が出来るだろう。

まともな演奏らしい演奏が出来ないのは、
ボク自身が一番よく知ってる。


それでも……ボクはこの時間を精一杯やり遂げたいから。



そんな思いを抱えたまま、
ボクは医療室を後にして、楽屋の方へと向かった。