「ほらっ、咲夜。早く支度して。
 紫音先生と穂乃香ちゃん、久しぶりに親子の対面なのよ。
 部外者が邪魔したら、話せるものも話せないでしょ」

そう言って俺に耳打ちした母に連れられるように、
俺は素早く一泊分の手荷物を鞄につめて、伊集院邸を後にした。


タクシーを捕まえて向かった場所は、
アメジストホテル。



母はそのホテルの中に入ると、カウンターでチェックインの手続きだけ済ませると
エントランスで手をあげて待っている、男性の元へと歩いていく。


誰だ、コイツ?


そんなことを思いながらも、母の後ろをついて歩くと
その人にゆっくりと頭を下げて挨拶した。



「ご無沙汰しています。
 藤本【とうもと】さん。
 
 失礼、今は羽村さんでしたね。
 そちらは?」

「私の息子で、咲夜と言います。

 咲夜、挨拶しなさい。
 こちらは、多久馬恭也【たくまきょうや】さん」

「多久馬?
 それって」

「えぇ。そうよ。
 真人の本当のお父さんよ」



サラリとそう口にした母の言葉。


目の前にいるコイツが、
真人の本当の父親?


真人はコイツの、
養子になっただけじゃないのかよ? 


突然の母の言葉に、頭がうまく働かない。



「初めまして。
 多久馬です」


そう言いながら差し出された手を、
俺は睨み返しながら、強く握り返した。


「あらあらっ、恭也さん。
 一月には姉さんがお世話になりました。

 実の妹が公演中ですぐに駆けつけられななかったのに、
 姉さんがずっと愛し続けてた恭也さんが真っ先に、
 姉の元に行ってくれたんですもの。

 本当に姉の最期を見届けてくださって有難うございます」


そう言いながら母はその人に頭を下げた。


なんだよ、神楽小母さんはこの人のことが死ぬまで好きで
好きだけど一緒になれなくて、真人を一人で育ててたってことかよ。



話の全てが見えない俺にはその場所に居続けるのは、
イライラすることばかりで……。


このまま傍に居たら『真人のこと本当に見てんのかよ』って
殴り掛かりそうだから、その前に距離をとろう。


そう言い聞かせて、俺は自分のポケットの携帯で一芝居打つ。

「すいません。
 電話が入ったみたいなんで、失礼します。

 母さん、先に部屋にいるから。鍵貸して」


携帯に着信が入ったように装って、
そう切り出すと母から鍵と、手荷物を奪い取って
俺はそのままエレベーターへと向かった。



エレベーターに乗り込んで、
ようやく携帯電話をポケットに戻すと溜息を一つ吐き出す。


その後も、俺は母の元には戻らず
一人、ベッドで体を横たえながらボーっと真人のことを考えてた。


翌日、ピアノコンクール地区大会本選前夜。


朝から慌ただしく準備をして会場へと向かう前に、
伊集院邸へと顔を出す。


その場所でピアノを借りて、それぞれが最終練習をして
伊集院家の車で、会場へと向かった。

会場内にはすでに今日のリサイタルの準備が整っていて
今回のリサイタルを取り仕切る、華京院グループの関係者も姿を見せる。


会場に入った途端に母の顔つきはもう、ピアニスト・羽村冴香として勇ましいほどに
オーラを醸し出す。


「それでは、リハーサル準備入ります」


会場に入った後は、それぞれがリハーサルを行って
その後は本番が始まるまでの間、それぞれが楽屋での思い思いの時間を過ごしていた。


楽屋で今日演奏する曲を指だけを動かして、脳内で音を鳴らしながら最終チェックを
している最中、携帯が着信を告げる。