五月。

ピアノコンクール地区大会本選を明後日に迎えた
その日、お世話になっている伊集院邸に姿を見せたのは
俺の母。

羽村冴香。


「咲夜、まぁ久しぶりね」


普段、なかなか一緒にいる機会がない母。

久しぶりって言っても、春休みには逢ってたわけだから
一ヶ月少ししか経ってないんだけど。

そんなことを心の中で思いながら、
母さんを屋敷の中へと迎え入れた。



「こんにちは、冴香先生」

「まぁ、大きくなったわね。
 穂乃香さん。

 咲夜がお世話になっていてごめんなさいね。
 こんなに可愛らしいお嬢さんになってたなんて。

 もう一度、紫音先生とお話しさせて頂かないと」

「お話って、私は……咲夜が来てくれて嬉しいですよ。

 日中、いろいろとお世話をしてくださる家政婦さんも夜は帰ってしまうので
 私は一人の時間になってしまうんで。

 それに……今、私は彼氏が居るんで。
 咲夜の存在を、彼に誤解されるのはマズいですけど
 それ以外は大丈夫です」



そんな会話を母としながら盛り上がってる。


何言ってんだよ。
勝手な話ばっかりしやがって。


そうやって思う気持ちと裏腹に、
小さい時からずっと一緒に居るのが普通だった
穂乃香の存在は、やっぱり俺にとっても惹かれるものがあるわけで
同居が決まった時も、これでアイツを俺が守ってやれるかなって風に
思えた部分もあって。



「いらっしゃい。
 冴ちゃん、疲れただろう。
 ロンドンから日本まで」

「私だけ一日到着が遅くなってごめんなさい。
 それに咲夜までお世話になって。

 隆起【たかおき】さんに伺ったの。
 紫音先生には、咲夜の編入にもご尽力頂いたって」

「尽力と言えるほどのことはしてませんよ。
 神前悧羅学院の理事会のメンバーに連なっているので、
 理事会を通して学校側に話しを持ち込んだだけです。

 ですが私が言うのも何ですが、神前悧羅は推薦だけで入れる
 場所ではありませんので、全ては咲夜の実力ですよ」

「有難うございます。
 紫音先生少し時間を頂けるようでしたら、腱鞘炎の方診て頂けないかしら?」

「いいですよ。
 どうぞ、私の部屋へ」


紫音先生がそう言うと、母は俺に荷物を預けて
そのまま奥の部屋へと歩いていった。


紫音先生が帰国してから、俺も一度だけ入ったことのある
先生の自宅診療室。


「咲夜、相変わらず小母さま、パワフルね」

「パワフルって言うか、動きすぎ。
 もう年なんだから無理して、ワールドリサイタルでスケジュール詰め込まなくても
 いいと思うんだけどね。

 まっ、父さんがOKなんだったら、俺は体壊さなきゃ好きなことして貰ってていいけどな」


そう。

体さえ、壊さなきゃ……母には、好きなことを精一杯して
輝いてて欲しい。



「そう。
 咲夜、少し付き合って。

 明後日のコンクールで、演奏する曲。
 まだ少し納得できなくて」

「いいよ」



穂乃香のお願いに即答で答えると、
俺は防音室に二人きり。

アイツの心とは裏腹に、
勝手に高鳴りはじめる俺の心。


そんな暴れ馬を必死に抑えながら、
一時間のレッスンを終えて、防音室に出ると
診察が終わったらしい、母が荷物をまとめて応接室のソファーに座っていた。



「終わったんだ」

「えぇ。やっぱり腱鞘炎だったみたいね。
 でも今、少しだけお薬を入れて貰ったから大丈夫よ。
 明日もコンディションにあわせて、リサイタル前に処置して貰えるみたいだから。

 それより咲夜の方は大丈夫なの?
 貴方も明日、演奏するんでしょ」

「大丈夫って、それって腱鞘炎?それとも俺の練習量?曲の仕上がり具合?
 確認が必要なら、今からでも弾こうか?」

「ったく、この子ったら。
 どうしてこんなにも挑戦的なのかしら。

 まぁ、いいわ。
 咲夜の演奏は、信頼してるもの。
 明日の楽しみにしておくわ。

 それより、今日はホテルに泊まろうと思うの」


そう切り出した母。
ホテルって、伊集院邸があるのにどうして?