地区大会本選の二日前。

咲夜より二日遅れで帰国したパパ。

同じように帰国した咲夜のお母様である、
冴香小母さまは、一度だけ我が家に顔を出して
咲夜を連れて、その日はホテルへと宿泊したみたいだった。



どうぞ今日は親子水入らずで。



そんな無言のメッセージを受け取った私は、
その日、春休みには素直になりきれなかった話を
パパとゆっくりできる機会が作れた。



時差ボケもあって大変だと思うのに、
パパは疲れた素振りを感じさせないで、
夕ご飯を食べた後、私とテーブルを囲んでくれた。




「パパ……私、報告しないといけないことがあるの」



思い切ってきりだしたものの、
言葉として話すには何処からまとめていいのかわからない。


「穂乃香、焦らずにゆっくりで構わない。
 今日はパパは何処にも行かないからね。
 久しぶりに、穂乃香の声がゆっくりと聞きたいね」



そんな風にいいながら、パパはキッチンに動くとハーブティーを入れて
テーブルへと静かに置いた。


パパが用意してくれたのは、
ラベンダーティー。



ラベンダーティーを一口、飲むと体がゆっくりと温まって
緊張が解れていくみたいにスーッとしていった。



「あのね……私、今まで通ってたピアノ教室辞めてきた。
 辞める時に相談しなくてごめんなさい。
 だけど後悔はしてないから」

「穂乃香、穂乃香が辞めたくて今まで通っていたピアノ教室を辞めるのなら
 パパは何も言わないよ。
 ただ一つ確認していいかい?

 穂乃香は辞めたのかな?それとも逃げたのかな?」



パパの問いは、私の心に突き刺さってくる問い。



私はずっと辞めたと思ってた。


だけど……冷静にものごとを考えられるようになった今、
逃げたとも考えられるのかもしれないと、すぐに返事できなかった。



「穂乃香はどうして、あの教室を去ったのかな?」


パパのもう一つの質問には答えられる。


「あの先生は、私がパパの娘だから指導してくれるの。
 パパを間接的に利用する先生が嫌になったの」


そう……私を通して、パパの名声を営業に使おうとしていた
そんなやり方が気に入らなかったのは事実。


だけど……実際は、もう一つある。



「私はパパの娘であることは凄く嬉しいの。
 パパは私にとって、自慢のパパだわ。

 だけど私は伊集院穂乃香で、伊集院紫音の娘と言う存在ではないの。

 パパと言う色眼鏡を通して、私と付き合ってくる人たちと関わるのは
 正直凄く疲れてしまうの。 

 だから……そう言う意味では、逃げ出したって言うのも一理あるのかなって思ったら
 すぐに答えられなかった」




ずっと根底に秘め続けていた根っこ。
その存在が、私をピアノと言う世界にのみ浸からせてくれない。



「だけど今、穂乃香は後悔していないんだね。
 パパの名前と、穂乃香は関係ない。

 パパの為に穂乃香が苦労しているのは知っていたよ。
 だけどパパもこの道を変える気はない。
 今更、変えられないからね。

 ただ、穂乃香はパパと亡くなったママの自慢の娘だと言うことは
 忘れないで欲しいんだ」



そう続けて私の想いを受け止めてくれたパパに、
久しぶりにギュっと抱きついた。

こんな風にパパに、
心の底から甘えたのは久しぶりかも知れない。



「ねぇ、パパ。
 もう一つ聞いてくれる?

 パパ、ずっと気が付いてかもしれないけど
 今、私ね……好きな人が居るの。

年下で浅間学院の高等部にこの四月に入学したばかりの子。
 
 瞳矢って言って、あの教室で知り合った男の子。

 私を伊集院紫音の娘って言う形で捉えずに、
 私を私として受け止めてくれた大切な人なの。

 でも……瞳矢、一月に入った頃かな。
それよりも前かな?

 指がおかしいって……凄く気にしだして、
 演奏出来なくなっちゃった。

 だからパパに瞳矢を助けて欲しいの」



泣きながら絞り出すように言葉を伝えた私の髪を
パパは優しく撫でながら、安心させるてくれる。




「わかった。
 明後日、瞳矢君だったかな。

 彼も来るのかな?」

「うん。
 瞳矢も予選は通過してるから」

「ならその日に、穂乃香のパパとしてきっちりと瞳矢君に会うことにするよ。
 パパが居ない間の穂乃香のことも、頼んでおかないといけないからね」


何処までが本気で、何処までが冗談かわからないけれど、
パパはそう言って私に笑いかけてくれた。



ずっと心の中に、もやもやしていた問題が
ゆっくりと解決に向けて動き出していく。