その日、プレイエルとの別れを惜しむように
動かない指で、何度も何度も明日の練習曲の音を辿って行く。


だけどボクの奏でる音色は、
音であって音楽にはなりえなかった。


ふと外が気になって、ピアノを弾く手をとめて
防音室のドアを開けて自室へと向かい、窓から外を眺めた。



「真人?」



思わず窓ガラスを開けて、
その名を呼ぶ。


真人は逃げ出すように、
ボクの家の前から走り出してしまう。


慌てて自分の部屋から飛び降りて、
こけそうになりながら階段を駆け下りる。



「瞳矢、バタバタ走って何してるの?
 もうすぐ御飯よ」

「ごめん。
 姉ちゃん、真人が……」


それだけ言うと、ボクは靴のかかとを踏んだまま履くと
玄関のドアを開けて飛び出す。




周囲を探し回っても、
何処にも真人の姿は見当たらなかった。




真人……。





ごめん……ボクが自分のことを優先し続けたから、
真人は……ボクに言い出せなかったんだね。




真人がボクの家に止まったあの日を境に、
真人の生活環境が一気に変わったのは薄々感じていたよ。


それがクラスの子たちが言う様に、
『お坊ちゃんだからリッチな送迎』って言う、
誰もが羨むような状況ではないことは、何となく感じてた。


だから真人の家に、多久馬先生のご自宅に
行ってみたいとも思った。


だけどそうすることで今以上に真人の環境が
追い込まれるのがもっと嫌だったんだ。


だからボクはボクのことに集中して、
真人のことは、義兄さんに任せておけばいいってずっと自分にも言い聞かせてた。



だけど……多分、それじゃダメだったんだ。



親友だと思っていたのに、
何時の間にか、ボクたちはお互いを気遣いあう故に
一番大切なサインを見逃してしまっていたんだよね。



自宅周辺を走りながら探しても真人は見つからず、
自宅に戻った時、義兄さんが玄関でボクを出迎えてくれた。



「車出すから乗って。
 
 走って移動してるにしても、そこまで遠くは行ってないと思うから」



そう言って車のロックを解除された兄さんの車に乗り込むと、
ゆっくりと動き始める。



真っ暗な景色の中、車のライトだけを手掛かりに
目を凝らしながら、真人を探しながら、時間だけが過ぎていった。





真人……君は今何処にいるの?