「先生、瞳矢はどうやったら治るんですか?」


母さんがすがるように、
天李先生に質問を続ける。


「残念ながら、この病気には具体的な治療法はありません。

 檜野君の病気の進行状態を確認しながら、
 その時、その時で出来る対応をしていくと言うのが現状です」


残酷に現実を突きつける先生。



何処かでこんな現実を覚悟していなかったと言えば
嘘になる。


だけど……残酷な現実は受けるとめる覚悟は、
ボクが思っていた以上に大変だったみたいで、
告げられた診断を素直に受け止められるほど安易ではなかった。



ただボクの中に闇が落ちてくるみたいで。




大好きなピアノを奪っていくだけでなく、
何時か、ボクのこの命も奪い取ってしまう
治療法のない病気。



「先生……、
 本当にボクはもう治らないの?」

「これからの時間、檜野君は一瞬一瞬を大切に歩いて欲しいと
 僕は思っています。

 何か気になることがあったら、何でも抱え込まずに僕に相談してください。
 精一杯、檜野君が安心して生活できるように出来る限りの助言をしていきたいと思います」


力なく呟いたボクに天李先生は静かに返した。


「そうですか……瞳矢はもう治らないんですね……」

母さんが力なく呟く。


「冬生から聞いています。
 明日は檜野君にとっての大切なピアノコンクールでしたね。

 僕も明日は、会場に足を運びたいと思います。
 ゲストの一人に、僕の後輩がいるんですよ。

 冬生も僕にとっては大切な後輩の一人なんですよ。

 だから本当に檜野君の心の不安を何時でも話したくなったら、
 僕に連絡してきてください」


そう言って、天李先生は白衣のポケットから取り出した
カードにボールペンで、サラサラと連絡先を記入して僕の手に握らせた。


病院での告知の後、その日も四肢麻痺に備えた筋力の増強と低下予防を目的とする
リハビリを行って帰宅した。




治療とリハビリを終えて、西園寺病院を後にしてもまっすぐに家に帰ることが出来なくて
母さんに我儘を言って明日のコンクール会場である、トバジオスホールへと連れて行って貰った。

会場の駐車場に車をとめて車内から建物をボーっと眺める。


会場内は明日の準備と、
今日の夜の「伊集院紫音・羽村冴香のピアノリサイタル」の支度に追われているみたいだった。


お花屋さんのトラックから、次々と運び込まれていく花たちを見送りながら
ボクはそんな景色を見つめていた。



途中、関係者入口に姿を見せたのは
穂乃香と、もう一人ボクと似たような年の少年。


そっか……伊集院紫音先生は、穂乃香の父親なんだ……。



あの日から会うことがなかった穂乃香と、
こんな場所で会うなんて思わなかった。


穂乃香はボクに気が付かずに、建物の中へと吸い込まれていくものの、
その背後にいた少年はボクに気が付いたのか、微かに立ち止まってボクを見つめた。



「ごめん。
 母さん、帰ろう」



そう言って呟くと、お母さんはハンドルを握って
再び自宅まで車を動かした。


自宅につくと、何も事情を知らない和羽姉ちゃんに心配かけさせたくなくて
わざと明るく振舞う。



何時かは知られてしまう病名。

知られてしまう現実。
隠し続けることが出来ない病気。



だけど明日が終わるまでは、ボクと母さんと、
多分……医者と言う立場から推測しているであろう
義兄さんと三人の秘密でいさせて欲しいから。