「ねぇ。
 ママ、今日の夕御飯何?」

「そうね。
 今日は託也の大好きな…………」




ふと僕の耳に入ってくる声。


僕は少し顔をあげて周囲を見渡す。
僕の先には買い物袋をさげた親子の姿。

その親子は……親子の会話を繰り返しながら
優しい家へと入っていく……。




『真人、遅くなってゴメン。

 今日は真人の大好きなハンバーグ作るから、
 もう少し待っててね』




……お母さん……。

何時の間にか、僕は一度だけ訪れた
瞳矢の家の近くまで彷徨っていたみたいだった。

両サイドに家がところ狭しと建ち並ぶ住宅街。
そんな街並をふらふらと歩き続ける。

……確か……瞳矢の家の近くにあったコンビニ。
そのコンビニの裏側の裏道を……右?左?


わからない。
何処からかピアノの音色が聴こえる。


『人形と夢の目覚め』


たどたどしい音色で奏でられる詩。
その時……見慣れた車が右折していく。

瞳矢の小母さん車。
遠くからその車を陰に隠れて見つめる。

五軒ほど右側の家の前に車は
駐車されて車内から瞳矢が降りてくる。

瞳矢の姿を確認して、僕は慌てて壁に
寄り添うようにして隠れる。

暫くして、もう一度瞳矢の家の方を覗き込む。


誰も居ない……。

姿が見えないことを確認して、
僕はゆっくりと歩みを進める。

真っ暗で誰も居なかったであろう
部屋からゆっくりと灯りがもれはじめる。

それを見ているだけで、
何故か暖かい気持ちになれた。

暫く何も考えず……僕はその家の前で
呆然と立ち尽くしていた。

近所から聞こえる人の笑い声。
数曲が重なって家の中から漏れるピアノの音色。

その中に混ざって、微かに聞こえるのは
瞳矢のプレイエルの音色。


何度も何度も同じところが詰まりながら
必死に……奏で続けようとする瞳矢の音色。


瞳矢の紡いだ物語の
音列が……僕の脳裏に流れ込んでくる。


柔らかで暖かい……ピアノライン。
何度も繰り返させるアルペジオの旋律。


その音を受けて無意識に僕の指先は、
宙を弾いていく。


脳内に……広がるメロディーライン……。


そのどれもが懐かしさに満たされて……
途端に窓が開く音が聞こえた。



「真人っ!!」



突然の瞳矢の声に僕は宙を舞っていた
指先をとめ……慌ててその場を立ち去る。


……ゴメン……瞳矢……。
僕は君を苦しめる為に来たんじゃない……。


僕はすぐに立ちさるから。
少しだけ癒されたかったんだ。

少しだけ満たされたかったんだ。

もう僕は此処に来ないから。
僕はまた夜の街を徘徊していく。

この広い世界の何処にも、
僕の居場所は存在しない。


だけど……責めて……後一日……。
この街に……僕の居場所をください。



そんな祈りを込めながら、
辿り着いた公園のベンチに僕は倒れこんだ。