「さっきのアイツのことなんて、気にしなくていいから。
 堺田【さがた】君のお兄さんと、多久馬先生のところの勝矢さんだったかな。
 あの人が仲がいいから」

「別に気にしてないよ。
 僕があの人の養子であることも、事実だから否定も出来ない。

 それより、用件はそれだけ?」


瞳矢の前でも、僕の置かれた環境をばれずに
騙しとおせるかな?

ううん、瞳矢は敏感で優しいからすぐに僕の嘘なんて
感じ取ってしまうよ。

だから幸せな僕を装い続ける為には、
真実がばれる前に逃げ出さなきゃ。


瞳矢の傍に長く居てはいけないと、
僕の心が警告を出し続ける。


「ううん。
 それだけのはずないじゃん。

 もうすぐボク、ピアノコンクールの地区大会本選なんだ。
 後、三日後。

 だから明日の放課後、ボクのピアノの練習に付き合って貰えないかな?
 真人が傍に居てくれたら、凄く練習も楽しくなると思うんだ」


瞳矢の家で、
もう一度あのピアノが演奏出来たらどんなにいいだろう。

ピアノに触れている時間は、
何処か、母さんが傍に居てくれているようであたたかかった。

だけど……もう、そんな時間に逃げることは出来ない。
僕に自由はないから。


「ごめん。
 瞳矢、もうお養母さんが迎えに来てるから。
 明日も行けないと思う」


時計をチラリと視線でとらえると、
もう約束の時間は過ぎてる。

慌てて車の方へと再び歩き出す。


「真人、明日は諦める。

 だけど、三日後。
 三日後のピアノコンクールだけは絶対に来て。

 ボク、会場で待ってるから」


そう言った瞳矢の声を背に受けながらも、
僕は振り返ることも出来ずに、迎えの車に乗り込んだ。


閉ざされた鉄の塊。

二人だけの車内。
逃げ場所のない閉ざされた空間。

その中で僕の心は冷たく凍てついていく。


養母の行動に怯え視線に怯えながら、
後部座席で身を小さく震わせながら過ごす時間。




そんな時間が羨ましいならいつでも代わってあげるよ。




心の中で声に出来ない言葉を吐き出した。