「って、国臣さん、この楽譜なんですか?」

「何って、そのまま。次のリサイタルでの余興の一つって言うのかな。
 二台のピアノを、四人・四人で16手で演奏するわけ。

 一人で演奏するのと違ってさ、ちょっと窮屈で演奏が邪魔くさいんだよね。
 んで、付き合ってよって話。

 その分、しっかりと咲夜のレッスンもつけてあげるよ。
 エルと、紫音様にも頼んでるんだ。

 まぁ、一緒に余興するわけだしね」



そう言いながら、国臣さんは俺をレッスン室へと誘導した。

国臣さんが所属するアカデミーの中にある一室。



その場所で課題曲、英雄ポロネーズ 変イ長調と向き合う。

約六分間少しの時間、
鍵盤と向き合い続けたこ俺の演奏が終わると、
国臣さんはレッスン室の二台のピアノのなかの一台。

インペリアルの音を鳴らした。


英雄ポロネーズ。

全く同じ楽譜を演奏しているのに、
抑揚の付け方をはじめとする、曲の表情が俺の演奏と国臣さんの演奏ではガラリと姿を変える。

前半部分。
序章のメロディーに乗せて思い描かれるのは、
男性的で気高きポーランド精神。

ピアノの低音で強靭な和音が曲乗り開始を告げる。
次に、しなやかな三度の重音が半音進行しする。
ワクワクするような感覚を伝えるのは、クレッシェンドの使い方。

華麗な主部に移行して、主旋律が輝き始める魅力。


中間部は、ポーランド騎士団の進軍を思わせるテーマが、
馬の疾駆のごとき左手のオクターブに乗せ、勝利へ向かって進んでいく。

連続する左手のオクターブは、
聴く人に拭いきれない印象を残す。

それゆえに、弾き手を追い詰めるところでもあるわけで。
いつも俺が演奏するときは、やや小さな手、故に苦戦をしいられる。


だけど目の前の国臣さんも、同じような手の大きさにも関わらず
その手の小ささを感じさせないように、演奏し続けている。


同じ六分間。
同じ楽譜。


なのに……表情と言うことを考えると、表現的には未熟すぎて
目の前のその人には及ばない。



実力を見せつけられて、悔しいと思う気持ちと
その凄さを認めざるを得ない現実と。


最後まで演奏を終えると、
国臣さんは「ミスっちゃった」と舌をペロっと出しながら呟いた。


「やっぱりこの曲、難しいよね。咲夜。
 完璧に演奏出来たら、スカッとして気持ちいいんだけどね」


いやっ、国臣さんがそれを言ったら
今の俺には嫌味にしか聞こえませんけど……。

喉元まででかけた言葉を飲み込んで、
俺は再び、楽譜へと視線を向けた。



無理なオクターブ奏法の練習をしたのもあって、
また悪化仕掛けている腱鞘炎。

その痛みを何とか我慢しながら、
もう一度、鍵盤へと指を乗せる。


序章の調べも、もっと気高く。
クレッシェンドはもっと丁寧に。

独特のリズムを一定にキープしながら、
丁寧に鍵盤を弾いていく。

前半が何とか終わって、中間部に入ると
オクターブの連続。

その場所で僅かに狂いだす。




「咲夜、そこ。
 ボクも苦戦したんだ。

 その時、紫音様に教えて貰った攻略の仕方、咲夜にも教えてあげるよ。
 
 本来はオクターブなんだけど、コツを掴むまでは、左手の親指だけでいいんだ。
 親指を使って、手がどんな動きをすれば無駄なく音が出るのかを追及していくといい。

 いかに機械的に演奏できるかが問われるオクターブ奏法。
 
 誤魔化そうなんて考えても、誤魔化せない箇所だからこそ
 この場所を攻略するには、練習と研究あるのみ。

 親指で研究している間に、少し腱鞘炎をコントロールして貰わないと
 試験どころじゃなくなっちゃうよ」



言われるままに、鍵盤から指を離して
目の前の楽譜を片付けると、もう一つの楽譜を広げた。



「だったら少し、これで息抜きさせてくださいよ。
 これなら楽譜はそんな難しくないし」

「まぁね。楽譜はね」


そう言いながら、国臣さんは一台のピアノの高音よりの真ん中の位置に立つ。