……知らない……。





僕はあの人にとって必要のない
存在ではなかったの?



『お父さんも辛かったのね。
 
 お母さんがお父さんにお願いしたのよ。
 真人にお父さんだと名乗らないでって。

 お母さんがあの時あんな事を言わなければ
 お父さんも真人も今、
 こうして苦しまなくて済んだのかもしれないわね』



今よりも若いあの人。




小学生の僕が眠る夜の病室に何度何度も入ってきては、
僕の頬に優しく手を触れる。


僕は眠っていて覚えて居ないけれど、
お父さんの温盛を感じていたのかな?



重ねていたのかな?



あの人の手をぎゅっと握り締めたまま
安堵したように眠っている。



「お母さん……」



そんな目の前の映像を見つめながら、
何時の間にか忘れて閉ざしてしまっていた
昔の記憶が溢れだして来る。



『そうね。

 貴方のお父さんは恭也さん。
 あの方以外にはいないわ。

 ほらっ、次はもう少し先を辿りましょう』



……あれ……。
これは手術の日。


あの日、先生は僕に笑ってくれたよ。




『真人君。
 先生も頑張るから、
 真人君も頑張りなさい』




そう言ってくれたのに手術室で眠る
僕をどうしてそんなに苦しそうに見つめるの?


僕の顔を見ては、何度も何度も躊躇うように
メスを見つめるあの人。


『真人が今、生きているのは恭也君のおかげなのよ。
 
 恭也君、どんな心境だったでしょうね。
 
 お母さんはね、お父さんがまだ高校三年生だった頃に、
 お父さんと出逢ったの。

 当時は音楽教室でピアノを教えていてね、

 大学生になったお父さんはお母さんを訪ねて
 音楽教室の生徒さんになったのよ。


 それからかしら。

 お母さんとお父さんは何度も何度も会うようになって、
 気がついたらお互い、愛し合っていたわ。
 
 何度もお互いの温盛を感じあって。
 

 そんなある日、貴方がお腹に宿ったの。
だけど恭也さんには、今の奥様と勝矢君が居たのよ。

 昭乃さんは私から恭也さんを奪った人だけど、
 お母さんも、ずっと昭乃さんと勝矢君に酷いことばかりしてたのね。
 
 恭也さんが結婚した後も、ずっと外で逢って真人をお腹に宿したんだもの。
 真人をお腹に宿したことはお母さん一度たりとも後悔しなかったわよ。

 だけど今のままじゃいけないって思ったの。
 今のままじゃいけないって思えたから、黙って一度はお父さんの前から姿を消したのよ』


「お母さんが自分で姿を消したの?」

『そう。

 真人は私が一人で育てていきたい。

 ずっとそう思ってたわ。
 だけど貴方は心臓の病気を患ってしまって……』


「……うん……。
 
 僕、幼稚園で倒れたんだよね。
 急に胸が苦しくなって」


『あの時、お母さんは一人で支えられなくて、
 今の新しい家族がいるお父さんに連絡したの。
 
 恭也さんはすぐに対応して、勇生君……。
 冬君のお父さんがヘリで迎えに来てくれたのよ。
 
 五時間も離れていてお仕事だって忙しいのに。

 その時に初めて知られてしまったの。

 お医者様だもの、真人の検査をしている間にばれてしまったの。
 だから真人は貴方の子供なのよって。

 だけど……親子の名乗りは一切しないでって。
 
 私があの時、恭也さんを頼らなかったら良かったのかしら?
 
 あの時、恭也さんに親子の名乗りはあげないで、
 なんて言わなかったら良かったのかしら。
 
ごめんなさいね。

 真人をこんなにも苦しめていたのは、
 お母さんだったのね』