無垢な少女が、台所で食事支度をする母のエプロンを引いた。

『おかあさん、どうしてルルにはおにいちゃんがいないの?』

母はクスリと笑って少女の頭を撫でた。

『ルルは一人っ子だからよ』

『ひとりっこ?』

初めて聞く単語に少女は首を傾げた。


『お兄ちゃん欲しいの?』

『うん、ほしい』

『うーん、難しいかなー』

母は包丁を置いて、少女に目線を合わせた。

『お兄ちゃんなら、ルルよりも早く生まれてないといけないんだよ。弟か妹なら可能性はゼロじゃないんだけどね』


『でも、おにいちゃんほしい』

『うーん、困ったなー』


頑としてお兄ちゃんを欲しがる少女の初めてのワガママは、母を悩ませるのであった。


数年後、お兄ちゃんが自身に来ないと気付いても尚、少女のお兄ちゃんへの熱は冷めることがなかった。

諦められないのには、身近に兄がいる友人がいたからであろう。


『うざい』


藍川ウメ、小学三年生。

その端正な顔を歪ませるのは決まって、彼女の実の兄だった。

『どうして?』

『だって、全部の休み時間に来るんだよ。うざいじゃんか』

そうかな?好かれてる証拠だよ。

少女、星野ルルは言葉を飲み込んだ。


『そうだね』

曖昧に頷いた瞬間に、メンチを切る柄の悪い少年が入ってきた。

途端にウメの顔が曇る。

『おう、ルル。俺のウメは悪い男に絡まれてないか?』

『ないよ』

『そうかそうか』

ウメのお兄ちゃんが満足げに頷く度に、ウメは眉間にシワを寄せる。


『絡まれてるとしたら、アンタだね』

『実のお兄ちゃんをアンタ呼ばわりとは!!誰がそんな悪いことを教えたんだ!!』

『あー、もう。うるさいなー』

逃げるウメの背中を追う、お兄ちゃん。

クラスメイトはうるさいと嫌がるが、ルルは違った。


『……いいなぁ。仲良くて』


騒がしいのが何だ、うるさいのが何だ。

むしろそれが良いんじゃないか。


父のいない二人暮らしのルルの家は静かであった。

母に不満はないが、騒がしい家庭に憧れがあったのである。


それが、お兄ちゃん欲しいと言わせたのかもしれない。