十一朗たちが病院に着いた時には、既に見慣れた覆面パトカーが停まっていた。
 車内から外の様子をうかがっていたのだろうか。扉が開いたかと思うと貫野が出てくる。
 十一朗は貫野を視界に入れながらも、手にした携帯を見て息を吐いてしまった。
 母に、『今日は遅くなる。みんなも一緒だから安心して』と、メールすると、
『遅くまで遊んでいちゃ駄目よ』と、返ってきたのだ。
 父や貫野は自分を一人前として認めてくれた気がするが、母親にとって息子はいつまでたっても子供らしい。
 癪なので、『大丈夫。父さんに貫野さんと一緒だからって言っといて』と返した。
 後ろを見ると裕貴やワックスも携帯電話を操作している。自分たちは高校生だし、親が心配するのも当然なのかもなと感じた。
 メールを打ちこむスピードが超高速と喩えていいくらいの、裕貴の指がとまる。
「門限過ぎても、プラマイと一緒ってメールすると、じゃあ大丈夫ねって返ってくるんだよ。お母さん、プラマイのことは信頼しているみたい」
「俺もそうだな。刑事と一緒ってメールしたほうが、よっぽど心配すると思う」
 ワックスに、それは違う意味に捉えられるからじゃないか。と言おうとしたがやめた。
 本物の刑事が目の前にいるのを忘れそうになっていた。駆け寄ってきた貫野を見て思う時がある。貫野は子供のような大人といってもいいのかもしれない。
「なに、人の顔見て妙な顔してやがるんだよ。お前が言ったモノは持ってきてやったぞ」
 貫野と目が合った途端、予想通りの反応が返ってきた。しかし貫野の相棒の文目の姿が見えない。
「文目さんは? いつも一緒なのに、珍しいよな」
「俺とあいつが対(つい)のように言うな。車の中にいる。だから、あとは任せた」
 聞いた十一朗は、そういうことかと納得した。
 全員が事件の解決を望んでいる。縦社会の中で生き、横の者たちを気にする立場である貫野や文目も。
「文目さんが車の中にいるのなら、私たちも後から言ったほうがいいよね?」
 裕貴が覆面パトカーを見ながら言う。ワックスも同じ気持ちのようで十一朗を真剣な表情で見ていた。
 突然、たくさんの人物が現れたら、口無しである和田は更に口を閉ざす可能性が高い。
 裕貴とワックスの意見を尊重して、十一朗は貫野を見る。すると貫野は、先日とは違う病棟に目配せをした。
 どうやら意識が戻った後、場所を移動したらしい。窓に鉄格子が掛けられているのが見えた。おそらく精神科の病棟だろう。
 和田は自殺未遂をしているので、その対処をしたのだと十一朗は理解した。
 貫野の足取りがはやい。十一朗は半ば駆け足状態で後についた。
「あれから和田の状態はどうなんだ。事件のこととか何か言ってる?」
「相変わらず、俺がやったの一点張りだよ。けど、お前が言ったモノを見て、奴も慌てるだろうな。隠しきれていると思っているわけだから……」
 どうやら病棟には関係者しか知らない緊急の出入り口があるらしい。病棟の裏口へ回ると、小さな引き戸を開けて貫野は中に入った。
 廊下は薄暗いが、突き当たりは明りが集中している。あそこは控室なのだろう。
 いつも通りに大股で堂々と控室に近づいた貫野は、ガラス張りの向こうにいる看護師と言葉を交わした。そして、鍵を受け取ると、また十一朗に目配せする。
 長い会話ではなかったところを見ると、顔パスに近い状態らしい。
 貫野がいるのだから遠慮することはないが、十一朗は頭をさげながら控室の前を通りすぎた。刑事と一緒にいる高校生を見た看護師の、驚く顔を見ることもできたのかもしれないが、それは恥ずかしくてやめた。
 階段をあがって和田の部屋に向かう途中、いくつかの部屋の前を通る。扉の向こうから、くぐもった声や唸り声が聞こえてくる部屋もあった。
「こういった場所にくるのは、はじめてだろう。閉鎖病棟って言ってな。窓には鉄格子、扉には鍵だ。重度の精神病患者が中にいる。その中でも和田はかなり異例だろうな」
 事件の真相を知っている和田は絶対に死なせてはいけない。警察が懸ける威信を見たような気がした。
 貫野が立ち止まったのは、閉鎖病棟のはずれの部分だった。隔離された場所というよりも、関係者が楽に出入りできそうなエレベーターの近くだ。
 貫野が鍵を差しこむと、部屋の中で何かが動いたような音が聞こえた。
 覚醒した和田繁樹と対面するのははじめてだ。十一朗は思わず唾を飲みこんだ。
 扉が開かれて中に入ると、ベッドの上に座っている男性が見えた。和田繁樹だ。
 和田と目が会った瞬間、十一朗の頭から構築していた印象が吹き飛んだ。
 誰かわからない。高校生の自分に彼は頭をさげたのだ。
 やはり和田は共犯を庇っている男だ。どす黒い推理は取り下げるべきかもしれない。
 十一朗はそう感じながら、自分も頭をさげて応えた。