「俺、貫野さんと違って最後まで反抗期続けるほど、気合いがないというか、親不幸者じゃないというか……」
「その減らず口、就職したら叩き直してやるから、楽しみにしとけ」
「俺、国家公務員一種試験受けるつもりなんだけどさ。そうなると貫野さんを追い抜くのって簡単だよな」
 貫野の後ろで文目が含み笑いを続けている。彼の階級は巡査なので、蚊帳の外だ。
 喫茶店の扉は貫野の手で開かれた。大人数なので一番奥の席に通される。さすがに込み入った話なので、誰かに聞かれるわけにはいかない。最適の場所だ。
 貫野にとっては灰皿があるのが一番の条件らしい。灰を叩き落してから、渡されたメニューを放り投げた。
「奢ってやる。夕飯いらないって親に電話しとけ」
 喫茶店とはいってもグラタンやパスタのセットまである。十分に腹を満たせそうだ。
「それ、捜査費に入るわけ? 内情教えてほしいんだけど」
 十一朗はメニューを開きながら質問した。勿論、毒舌のつもりだ。貫野の手元から出る金だということは知っている。メニューを訊きにきた店員に、遠慮なしに皆が注文する。貫野は目を細めただけだったが、十一朗は『これ、また親父に告げ口されるな』と思った。
 隣にいる文目に「お前は自分持ちな」と言いながら、貫野が十一朗を見た。
「まず証拠を見せろ。話はそれからだ」
 言われて十一朗は拾った万年筆を渡した。刻印を観察した貫野は文目に手渡す。
「何で万年筆があるってわかった?」
 そして貫野は、誰もが思うであろう疑問を十一朗にぶつけた。
「万年筆で書いた特徴だよ。文字の強弱とか裏抜けとかさ。店でインクの出具合を確認したんだろうな。万年筆はインク注入しないと書けないから。これ俺が欲しくて母さんに頼んで、無理って怒られたメーカーなんだ。確か価格は一万五千円だったかな。高いのはインクの流れや持ち手自体が違うから……俺、大学合格したら、絶対に買ってもらおう」
 そこまでの価格になると大人の買い物である。しかも、高い万年筆は一生物だ。
 他人が引くほど極めた十一朗の万年筆の真髄語りを聞いて、貫野は息を吐いた。
「あと升田のアパートのことだ。家宅捜索したら偽ブランド品が大量に見つかった。中国からの密輸入品だ。他にも盗難された宝石類」
「俵井が動揺したのって、それが理由だったのか。八木、升田って名前、心当たりある?」
 十一朗の問いかけに、綾花は首を横に振った。意識不明の男といい、綾花は事件とは何の接点もない。やはり、綾花の母が何かを隠している気がしてならない。
 運ばれてきたコーヒーには何も入れずに貫野は話を続けた。
「升田はあの意識不明の男から七百万もらうつもりだったんだろうな。そして、他の金蔓が密輸入品に絡んでいる可能性が高い」
 みなが頼んだ料理が、場所が狭いと言いたげに次々と運ばれてくる。ちゃっかりグラタンセットを頼んでいる文目を見て、貫野はまた手帳で彼の頭を叩いた。
 十一朗もカロリーで頭を回転させようと、運ばれてきたサラダにフォークを入れる。
「俵井は十年か前の貸しって聞いたって言ったよな。七百万なんて大金、升田って人が十年も徴収せずに黙っていたなんて思えないけど」
「そのことなんだが、升田はム所に入っていたんだ。だから徴収できなかった」
「ム所? なんで?」
「詐欺事件起こしてな。そのあと、取り囲んだ刑事数人怪我させて逃走した。奴の身柄を確保したのは、その事件が起きた二週間後だ。ム所に入ったのは八年」
 一通り聞いて十一朗は納得した。刑期を終えて金がなくなったので、金蔓に頼ったのだ。
「あの意識不明の男が身元を隠していた理由がわかったよ。七百万の徴収から逃げていたんだろう。そして偶然、升田と顔を合わせて争いになったってとこだろうな」
 しかし、まだ引っかかる。この推測では共犯者の影が見えてこない。
「共犯者の動機は?」
 十一朗の問いに、貫野が運ばれてきたサンドイッチのパセリを抜きながら舌打ちした。
「交際相手が金の徴収迫られてんだぞ。殺す動機は十分じゃねぇか」
「交際相手って……決まったわけでもないのに。それに人殺しって、そんなに簡単にできるものかな? 普通は恨みつらみとかあるだろ?」
「人が死ぬのを見たかったって動機だけで殺すご時世だぞ。何の問題もねえ」
 貫野は乱暴に二つのサンドイッチを潰すと、同時に口の中に入れた。刑事は早食いでなければ優秀ではないと聞いたことはあるが、目の前で実演されたのには驚いた。
「それと、あの子の母親を事情聴取することになる。勤務地もこの駅だし、事件があった時間に店を出ていることが分かっている。利き手も左だし、誰も疑わない。残念だがな」
 最後の『残念だがな』に貫野の性格が聞いて取れた。刑事に存在してはいけない感情、私情――綾花の仲間である十一朗を前に思わず口に出したのだ。