「事件の時間帯じゃなくてもいいんだ。事件現場とここは距離も離れている。十時半でもアリバイは成立だ」
 十一朗の質問に綾花は「あっ」と声を出した。何かを思い出したのは確実だった。
「飲み物を買いにコンビニにいったのを思い出しました。確かレシートが……あった」
 綾花が出したレシートに皆の視線が集まった。レシートに打ちこまれた時刻は十時四十五分。十一朗が指定した時間の範囲内だ。
 しかし、まだそれでは安心できない。レシートでもアリバイをつくろうと思えば出来る。誰かに頼めばいいことだからだ。頼みの綱はコンビニの防犯カメラが、綾花の顔をしっかりと捉えてくれているかということになる。
 それでも十一朗は安堵の息を吐いた。綾花の性格は知っている。嘘をつくわけがないと信じていた。そう、彼女は大切なミス研家族の一員だ。
「良かった。これでアリバイ成立だな。それは君から警察に渡したほうがいいよ。但し、アリバイがあるか追及されてからだ。こういうのもなんだけど、俺が助言したと思われるとまずいし、先にいうと変な詮索されるのが確実だからさ」
 事件発生の際には、第一目撃者を刑事は疑う。妙な言動を探るのは彼らの習性なのだ。
 第一報が救急ではなく、警察であった時には更に疑う。助かると思っていなかったから、助かってほしくないから、救急ではなく警察に連絡したのではないかと。
 被疑者から、突っかかりのある説明を受けた時の警察の目は疑いしかない。
 そんなことも十一朗は知っているので、敢えて綾花には言わないほうがいいと告げた。
 その時だ。裕貴が合わせた手の音が室内に響いた。
「八木さんの歓迎会をしようと思っているんだけど、都合の悪い日とかある?」
 先走りすぎの裕貴の発言に十一朗は目を細くした。
 事件のこともあったばかりなので、綾花にしてみたら迷惑かもしれないだろうと思う。裕貴にしてみたら気分転換させるつもりで誘ったのだろうが、変に感じるのは、女子と男子の考えの違いから生じるものなのかもしれない。
 しかし、裕貴の提案にワックスも賛成のようで挙手した。
「俺、ここらへんで評判の店がないかって訊いたんだ。で、見つけたのが二駅離れた、エナノスって店。スペイン料理店なんだけど、ガスパチョとパエリアがうまいらしくてさ」
 聞いて十一朗は顔を顰めてしまった。事件現場の最寄り駅だからだ。
 あれだけの事件だったので、新聞でも大きな記事で載っていた。どの駅構内で男が轢かれたのか、どこで殺人事件が起きたのか地図まであったのを記憶している。
 エナノスという店は事件現場と降り口は逆だが、あまりいい店の選択とはいえない。それでも、現場の様相を知らない三人だから、互いに同意したようだった。
「その駅なら、私の母が働いている店の最寄り駅です。仕事が終われば送ってくれるかも」
 話の中で、綾花がさらりと口にした。聞いて十一朗は、思わず息を呑んでしまった。
 事件現場と綾花の母の勤務地が同じだとは予想していなかった。そして謎の男が残していたという綾花の電話番号。
 腕が震えた。安堵してからの疑惑発生で思考が破裂しそうになる。十一朗は綾花を見た。
「八木、君のお母さんの利き手って……左か?」
 遠回しに訊くことはできなかった。確信を突いた質問に綾花の目が見開かれる。
 ワックスも裕貴も動きをとめて、唾を飲みこみながら綾花の答えを待っていた。
「左です。もしかして、東海林先輩……」
『母を疑っているんですか』という続きの言葉を、綾花は押し殺したようだった。少なくとも、彼女の中にも母が共犯ではないかという疑点が生み出されたはずだ。
 それでも、何かが十一朗の中で引っかかっている。本能が叫んでいた。
 この事件は何かが隠されている。推理を怠るな。米粒のように散らされた証拠を探せ。
 十一朗は立ちあがった。そうだ証拠だ。鑑識員が口にしていなかった重要物が、現場に残されているに違いない。
「そうだ。『裏抜け』していた遺書だ……突発的に書いた遺書に、あんな筆記用具使うわけがない。現場に行かないと」
 前に進んだ途端、足元に置いてあったゴミ箱を蹴飛ばした。足元が見えていないほど混乱していた自分に十一朗は気づいた。
 散らばったゴミを掃くほうがはやいと裕貴は判断したのだろう。掃除用具入れからホウキを持ってくる。ワックスも近づくと、大きなゴミを拾ってゴミ箱の中に捨てはじめた。
 二人の動きを見ながら、十一朗は情けなくなった。ミス研の部員は家族も同然と思っておきながら、事件の真相を語っていないし、繋がった推理を教えてもいない。
 ひとりで戦う自分が格好いいと思っていた。しかし、それは信頼や協力という好意を無視した馬鹿な行いだ。はずれた道を修正してくれる仲間がいるからこそ、都立明鏡止水高等学校ミステリー研究部は成り立っている。
「みんなに頼んでいいかな。事件現場に証拠が落ちているはずなんだ。鑑識課員はそれを見つけていない。捜査が難航しているのは、きっとそのせいだ。一緒に探してほしい」
 見つけられないのは、その証拠が絶対にあるという推理に至っていないからだろう。
「久しぶりに、ミス研始動だね」
 ゴミを奇麗に掃き取った裕貴が、十一朗を見て弾けるような笑顔を見せていた。