私は授業を受けていた。
ロシア語のものである。今回が33回目。佐藤先生は黒板に残り3回の予定を記した。
他の生徒が質問した。「先生、36回目は月曜日なのでは?」
「失礼」と先生は訂正する。36回目が試験。それが終われば、今期の初級ロシア語は終了。彼は来期のロシア語のカリキュラムについて説明した。
「上級ロシア語を受け持つのは片方は私、もう片方は〇〇先生です。なんと彼、イスラエルに留学していた頃の私の同期なんですよ。」
へえ、と思うや否や風が吹き荒れ、皆が顔を覆った。場所は教室から橋の下に変わっていた。すごい風だが、いずれ止むだろう。背をコンクリートに預けながら、私はそう思った。しかしこの風、止むばかりかますます勢いを増してくる。それどころか、だんだん辺りが暗くなり始めた。木の棒や、枝なんかがたたきつけてくる。(ん、風に加えてこの暗さ、まるで何かとてつもないものが覆っているようなーこれはまさかー)津波だった。我々は抵抗し難い力で以て後ろのコンクリートに打ち付けられた。当然のことだが、呼吸ができない。とりあえず泳ぐことにする。上に上がると、流れができ、多くの人間が流されていた。子供が大方だった。この近くに幼稚園でもあったのだろうか。流れてくる一人の子を捕まえ、手をつないだ。(こいつと一緒に逃げよう)そう思った。流れに沿って柵があり、そころなんとか超えて向こうへ行く人たちがいた。自分も手をかけ、なんとか反対側に渡ることができた。柵の向こうは、昔自分が住んでいた団地になっていた。一旦その子と丘の上に上がると、家族の心配が危ぶまれた。すぐLINEを開く。家に向かいながら、母親、弟に安否確認のメッセージを送り、父親にも送ろうとしていた。その折だった。家が見え、私と弟(その時点でその子は既に弟になっていた)は向かった。窓を開けると、湯沸かし器が音を立てて蒸気を噴出していた。家に人の気配がしない。母程の人が、消し忘れるなんてことをするはずがない。私は察した。中で母親が死んでいる。故にすべての電気がつけっぱなしなのだ。叫んだ。泣いた。弟も声にならない叫びをあげ、となりに立っていた。二人は中に入り、家の中を探した。こたつの中に母は横たわっていた。こたつ自体は暖かく、母は冷たかった。私は母を抱き上げ、外へ出ようとした。その刹那、母が息を吹き返した。そしてまたぐったりとなった。私は喜んだ。母をおぶり、弟と共に外を出、丘を登った。涙をながして笑顔だった。弟に点けっぱなしの電気を消しておけ、と命令すると私は元の道に戻った。