「なーんちゃって。違うよ、今のはね、ボクの手品。マジックだよ」

「え?そうなの?」

「あはは。ごめんね、ボクは、マジックが趣味で。少し趣味の悪いマジックだったかな?」

少女は、少し困った表情を浮かべながら、苦笑している。

「タネ明かしはできないけれど、元に戻すから、その手を離してくれないかな」

「ああ、ごめん」

わたしは、少女を離す。

しかし、それは、大きな間違いだった。

少女を離したわたしと少女の間に、突然、真紅が割って入ってきたのだ。

「真紅?」

「ば、ばか…」

今度は、真紅の体から煙が立ち上がる。
ま、まさか。
わたしが立ち尽くす中、真紅は、大きなルビーの宝石のついた指輪へと姿を変え、床に転がったのである。
そして、紫の髪の少女が手にしているのは、注射器だった。
まさか、その注射器を真紅に?

「あはは、キミは、騙されやすいんだね。傑作だよ、あはは!」

「おまえ!」

我を忘れたわたしは、怒りにまかせ、少女の顔面を殴りつけた。
少女は、無言のまま、床に倒れこむ。
しかし、その顔は笑っていた。

「あはは、気が済むまで殴らせてやるよ。でも、ボクを殺せば、ふたりは元には戻らないよ」

「なんだと!」

「落ち着いて、なゆたん!」

かなは、わたしの腕を引っ張る。

「あはは!で?どうする?ボクを殺す?それとも、ボクに殺される?」

「どっちもいやだ!!!」

わたしは、少女の頭をつかむと、その紫の瞳を強引に覗きこんだ。


「もういやだ、わたしはもう鳥かごから出たい」

「この人は、わたしを苦しめる」

「わたしの傷を舐めて、抉り、呼び起こす」

「優しい笑顔で、わたしを殺すんだ」

「生きてるのに、死んでるみたいに」

「もうやめて…もうわたしをここから出して!」


わたしに、流れ込んできたのは、七咲さんの苦しみの声、悲しみに満ちた心の叫びだった。

「おまえも、この声が聞こえているんだろう!」

わたしは、少女の肩をつかみ、激しく体を揺すって問いかけた。
すると、彼女はまぶたを閉じたまま、つぶやいた。

「ああ、毎日、何をしている時でも聞こえてくるよ」

「で、おまえは、何も感じないのか!彼女の苦しみを、見て見ぬフリをしているんじゃないのか!」

「見て見ぬふり?」

少女は、うつむいた。

「彼女が苦しむ声がつらいから、聞こえないようにしてるんだよね。でも、本当は、彼女を助けたいと思ってるんだよね?それなら、わたしがなんとかする。だから、ふたりをもとに戻して、この世界を」

「キミは、わかってくれるんだね」

わたしが話している途中で、うつむいたままの彼女が涙声でつぶやいた。

「ボクは、ずっとつらかった。彼女の苦しみは、いつしか、ボクの苦しみになっていた。キミは、ボクの苦しみを吸い出してくれるのかい?」

「ああ、約束する」

「じゃあ、くちづけを」

「えっ、くちづけ?」

少女は、わたしの頬に細くしなやかな指を添えると、わたしの瞳をみつめたままで顔を近づけてきた。
砕けたガラスのような、鈍い紫の瞳。

「だめだよ、なゆたん!」

またもや、わたしは、かなに突き飛ばされてしまう。

「かな?」

かなは、わたしの事が好きと言っていたけれど…。だから、許せなかったのか?
紫の髪の少女に抱きしめられるかな。
「なゆたん…」
いや、違う。
かなは、わたしの事を!

「あはは!まーた、すぐに騙されるんだから!」

かなの体から、煙が舞い上がる。

「彼女の苦しむ声を聞くのがつらい?あはははは!どこが!?どこがつらいのか教えてよ!彼女の苦しむ声は、実に甘美じゃないか!」

「え…」

「だから、ボクはいつでも、彼女の声を聞いてる!紅茶を楽しみながらね!見て見ぬふりだって?聞こえないようにしてるだって?そんな事をする必要なんてないね!」

「おまえ!」

「ボクは、聞こえないようになんてしない!彼女の苦しみは、ボクの苦しみなんかじゃなく、彼女の苦しみこそがボクの歓びなんだから!」

そうだ、思い出した。
この少女の顔は、七咲さんを買い殺しているあの冷酷な少年と同じ顔なんだ!
わたしは、どうして、それに気が付かなかったんだ。

「なゆたん、絶対に何があっても、この子を信じちゃだめ…」

「かな!!!」

かなまでもが、私の目の前で指輪へと姿を変えてしまったのだった。
それは、悲しい程に美しい純金。

「あはは!笑いをこらえるのが、大変だったんだよ。わかるかい?うつむきながら、どうせ、またキミはすぐにボクに騙されるんだろうなってさあ!あははははは!」

わたしの頭は、真っ白になっていた。

また、わたしのせいで。
わたしが甘いせいで、みんなをあんな姿に。
わたしのせいだ。
わたしのせい。

「いやだぁぁぁぁっ!わたしのせいでみんながぁぁっ!」

「あはは!あはは!もっと、苦しんでみせてよ!ほら、キミが甘っちょろいから、みんな、指輪にされてしまったんだよ!キミのせいだ!もっと、もっと、自分を責めろ!この世界は、誰にも消滅させたりなどさせない!ボクの世界なんだ!永遠に彼女の苦しみを楽しむ為だけに存在するボクだけの世界!」

「うわあああああああああああああああああ!!!」

わたしは、その場に崩れ落ちた。

ああ、もうわたしには、七咲さんを助けることなんて、できないんだ。

わたしは、自責の念にかられながら、ぐるぐると渦巻く世界のひずみのような場所を漂っていた。
ここがどこかなんて、もうどうでもいいことだ。
わたしは、紫色の瞳をもったその少女に敗北したのだ。

ああ、頭が痛い。

わたしはこの後、どうなってしまうの…。

そんな事、もうどうでもいい。

わたしは、静かにまぶたを閉じた。