あれから、七咲さんは、学校に弁当を持参するようになった。
会話こそ、ほとんどないものの、ふたりでのランチは楽しかった。
それは、わたしにとって、学校での楽しみのひとつになっていた。
そんな毎日が、ずっと続くと思ってたのに。

数日が過ぎた頃。
七咲さんは、再び不登校になってしまったのだ。
なんの前触れもなく。

わたしは、ある日の放課後、七咲さんの家を訪ねた。

「何か用?」

インターホンを鳴らすと、七咲さんは玄関のドアを半分だけ開けてくれた。

「心配だったから」

「帰って」

「どうして」

「あんまり、学校行きたい気分じゃないの」

「嫌な事あるなら、わたしがちからになるよ?」

「…はあ。そうやって、わたしのことを助けてるつもり?そんなのただの自己満足だよ」

ドアを閉めようとする七咲さんの手首を見て、わたしは思わず、ドアの隙間に腕を突っ込んだ。

「痛!」

わたしは、ドアに腕を挟まれてしまった。

「ば、ばかじゃないの!?」

七咲さんは、再びドアを開けた。

「イタタタ…」

「大丈夫?けがしてない?」

心配そうにわたしの腕を見る七咲さん。

「う、うん、大丈夫」

七咲さんの腕には、無数の傷跡。
それは、あきらかに自傷行為の爪痕。
真新しいものがあるのも見て取れた。
普段は、長袖で隠してるから、気付かなかったんだ。
七咲さんが、こんな事をしてたなんて。

「ごめん。帰って。もうこないで」

七咲さんは、気まずそうに手首を隠した。

「どうして」

「わたしの苦しみを知らなかった。知ろうともしなかった人に、わたしを助けられるはずがないから」

まるで、その発言は、わたしの心を見抜いているかのようだった。
わたしは、何も言えず、ただ、閉められるドアを眺めている事しかできなかった。
いじめや、摂食障害を乗り越えたのに、まだ、苦しんでいたなんて。
余計なお世話と言われてもいい。
わたしは、やっぱり、七咲さんを助けたい。

わたしは、そっとドアノブに手をかけた。
七咲さんは、鍵をしめていなかったはず。

「七咲さん!」

いや、冷静にならなくては。
このドアを開けると、またあの世界に通じているはず。
あのひとつの色だけで染まった世界。
そうなれば、また、わたしは戦わなくてはならないのだ。

でも、もう見て見ぬふりはしたくない。
こうしている間にも、この部屋の中で、七咲さんが自傷行為に及んでいる可能性だってあるんだ。
わたしは開けるしかないんだ、このドアを。

「七咲さん!」

わたしは、勢いよくドアを開けた。

「ま、まぶしいっ」

目がくらむような、まばゆい金色。
ドアを開けると、思ったとおり、そこには、現実とは思えない別世界が広がっていた。
一面、全てが金色に染まった世界。

「やほ」

緑夢だ。
まるで、待ち合わせをしていたかのように、目の前にいたのは緑夢だった。
真紅の姿はない。あの子の事だから、またどこかに隠れているのかも。

「さあ、いこっか。この世界の主に会いに」

「えっ」

わたしは、ぽかんとしてしまう。

「その為にきたんでしょ?ほら、お菓子たくさん持ったし!」

緑夢は、まるで遠足気分だ。
お菓子を食べながら、ひとり、先に歩き始めてしまった。
わたしは、彼女のあとを追う。

そして、全てを知っているであろう緑夢に対し、わたしのなかにある疑問を率直にぶつけた。

「緑夢、教えて。この世界は一体なんなの?どうして、七咲さんの事知ってたの?」

「うーん。この世界がなんなのかは、私にもわからないんだよね。きっと、真紅さんも同じ。
でも、七咲さんの事は、ずっと前から知ってる」

緑夢は足を止めた。

「いつもね、聞こえてくるの。彼女が苦しむ声が」

「苦しむ声?」

「うん。それを聞くとね、私頭が割れそうになっちゃうの。痛くて痛くて。でもね、食べてる時だけは聞こえないの、苦しむ声が。耳を塞いでるように、聞こえなくなるの。でも、私がたくさん食べる程、あの子はもっと、苦しんでた。声が聞こえなくても、わかる。でも、私は食べるしかなかった」

昔のわたしと同じだ。
目の前で苦しんでいる誰かの姿を、見て見ぬふりをして、自分が傷つかないようにって。

「なゆたさんに負けて、私の世界はもう無くなっちゃったけど、それからは、あの子が苦しむ声が聞こえなくなったの」

緑夢は、おかしを食べるのをやめて、話を続ける。

「あの世界がなくなったことで、あの子は救われたんだと思う。最初は、私は、なゆたさんに負けたら
、死ぬつもりだったの。私が死ねば、この世界がなくなるかなと思ったから。そうなれば、私も彼女ももう苦しまなくて済むんじゃないかなって、いつかそういう日が来る事を望んでた」

わたしとの大食い勝負は、まさか、初めから負けるつもりでいた?
死ぬ口実の為に?
ああ、きっと、真紅も緑夢と同じように悩んでいたのか。
だから、殺せとわたしに執拗に迫ったんだ。
きっと、真紅も本当は七咲さんを助けたいと思ってたんだ。

あー、なんて優しい子なの、真紅はツンデレなのね。
いじらしいな、あの子は、もー!

わたしは、心の中でそんな事をつぶやいていると、すかさず、緑夢のツッコミが入る。

「ちょっと、なゆたさん、真剣な話してるのに何ニヤニヤしてんの?」

顔に出てしまっていたみたいだ…。

「何考えてんだか」

「ち、ちがう!ちがーう!」