「アキ…キミにお願いが、あるんだ」

大学病院の3階の個室

白い鉄パイプがぐるりと一周し
縁を囲むベットの上に
先生は居た


「なんですか、お土産のリンゴを剥いて欲しいんですか」

私は丸椅子から立って、冷蔵庫を開ける
中身はミネラルウォーターとゼリーと果物


「…待って、違うんだ」
進藤先生の手が私の腕を掴んだ

先生の腕はいつの間にこんなに細くなるんだろう

「話がある、キミに大事な話だ」

先生な眼鏡を外し、目頭を掴んだ

私に言いにくい話をするときは
いつも、そうなのだ

私は先生に出会って4年間
彼の癖をイロイロと見つけた

それもその一つだ

「なんですか?今日ね私、とっても気分がいいですよ、牡牛座が朝の
占いで1番だったんです

変な下着付けろって言っても怒りませんよ…?」

「違うんだ、ふざけているわけじゃないんだ…」

先生はまた視線を落とした

「なんですか、先生らしくないんじゃありません?
もっとビシっと『僕と別れて欲しい‼︎‼︎』










「えっ…」

「キミはまだ24だ
僕はもう40だ
下手したら親子にしか見えない」
「そんなの、今更じゃありませんか?
もう4年間も
一緒にいるのに……」


「だからだ!キミの4年と僕の4年は
価値が全然違うだろう

キミは若くて美しい、それに賢い


もうこれ以上キミの時間を束縛出来ないよ

キミなら僕なんかより
もっとキミを幸せにしてくれる男に巡り会える」


「……私は誰かに幸せにして欲しい
とは思ってません、ただ私は……」


随分と長い沈黙が流れた

病院内はとても静かだ


その静かさが空気を重くする


「僕は10歳の息子もいるし
一回、結婚も失敗している
歳も40……

こんな男の何処がいいんだ……


キミは若いのだから
道を間違うべきじゃないよ」


「先生は…私が先生じゃない人と…

他の男と幸せになる方が

他の男の胸に抱かれろと


そう、本気で思っていらっしゃるのですか……?」


私は自分が思っている以上に

大きく張りのある怒鳴りに

自分でも驚いた


先生も一緒、目を丸くしたが
すぐにそっぽを向いてしまった


私は
拳をぎゅっと握った


汗が気持ち悪いようぬ流れた


「……僕は………もう時間が無いんだ……
僕には……キミを……アキを……
幸せにすることが出来ないんだ


それでも
キミには……幸せになって貰いたいんだよ」


進藤先生が末期がんを申告されたのは

半年も前のことだった

それから2つ季節が過ぎ

今は冬になった


私が知っている先生の大きな背中も
今は
頼りなく弱々しいものになった

先生の眼鏡のレンズから覗く
鋭い目付きも
今はただ、優しく温もりに満ちていた



それが、私には怖くて怖くて堪らなかった

出来れば昔みたいに
いつも人を小馬鹿にするような
プライドが高く馬鹿真面目なままで居て欲しかった


優しい先生なんて……見たくなかった


ただ、それだけだった





「先生」
「なんだい」


「私と結婚してください」






「はぁ?」

「えっ…『はぁ?』ってなんですか⁉︎
今、ちょっとシリアスな感じだったのに

雰囲気壊れちゃったじゃないですか⁉︎」

「キミ、えっ、僕の話聞いてたの⁉︎
理解してるの?

僕、別れようって言ったんだよ
どういう意味だかわからないの?」

「あーもう‼︎
人の一世一代のプロポーズを台無しにして!

私、昔、言ったじゃないですか
プロポーズは私がするって」

「だからって結婚って

僕には息子がいるんだよ

馬鹿言うんじゃないよ

育児っていうのは大変なんだよ

それは僕が身を持って経験してるよ


あまりふざけた事言うんじゃないよ!」


「ふざけてません!!
本気に決まってるじゃないですか!!


ただ……私は……

先生と生きた証が欲しいんです


昔は素っ気なかった拓海くんも
今は随分と懐いてくれてます


拓海くんは私が…その…先生と結婚してもいいと
言ってくれてます

だから、先生さえ良ければ……『黙りなさい‼︎いいか、僕は死ぬんだ‼︎
なのに結婚だと‼︎

そんな、そんな馬鹿げたこと出来るわけないだろう

拓海なら実家に預ける
息子のことは心配するな


キミは、ただ僕に同情しているだけなんだよ、そんなもの、僕は、欲しくないんだ」


先生の声はもう切れるんじゃないかっつまぐらい叫んだ

「先生、私は、ただ、好きなだけなんです…

先生の事、愛してるんです…
同情だってなんだっていいんです


先生の時間がもう少ないなら
その時間を私にください


24の私が、10歳の子供を育てることが
どんなに大変なことなのか

充分に承知しています

それでも私は‼︎
拓海くんは先生の息子だから‼︎
愛しくて堪らないんです


私を貴方の妻にしてください」



私は頭を下げた

そして沈黙が流れる

時計の秒針の音が煩いくらいに耳に残る





その時だった




私の背中に手が周り
顎を引き寄せられた

目を閉じる暇もなく
私の唇は先生のそれに押し当てられた


私は目を閉じる

先生は一旦、唇をはなすと
今度は
私のもっと奥に入ってきた

先生の舌が私の歯をなぞり
そっと、受け入れると

彼の舌は私の舌に絡まりつく


貪るかのように、深い底に落ちていく




いったい

どれだけの長い時間が流れたのだろう



私はその時
生まれて初めて男の前で泣いた



もう二度と先生の前で泣くことはないだろう


私は先生に守られたいわけじゃない

私は先生の隣で戦いたいんだ



ーだから、どうか、
わたしから先生を奪わないで