「貧血だけですからすぐ退院できますよと言われた。だけどもう私
にはわかっている。身体が今までとは違う反応をしているのが
微妙に十分本能的に感知している。若林さん助けて!ほんとのとげが
とうとう抜き差しならないところに来てしまった。

若林さんに、告白できなかった小さなとげのこと。もう助からない。
わたしには人を愛する資格も愛される資格も無いのかしら。
教えてください若林さん。今すぐ飛んできてほしい」

案の定、検査で入院は長引いた。

「悲観的になってはいけないと温和な中年の担当医師は、私の眼を
じっと見つめて力強く言ってくれた。この晩、夢を見ました。若い
医師が私の手を取ってこう言うのです。悲観的になってはいけない、
君は必ず助かる、もうすぐ元気になって退院できるから頑張るんだ!
その医師はなんと若林さんでした」

それでも1か月足らずで杏子は退院した。梅雨時に1度、秋口に1度
背骨に激震が走ったが何とか耐えて薬を飲み落ち着くと、必ずその夜
に医師の若林が夢の中に現れて励ましてくれたそうだ。

その頃治はというと、大学はバリケード封鎖でアルバイト三昧の寝袋
生活で連絡の取りようもなかった。杏子は卒論を書き終え、幟町小学校
への赴任も決まった年の暮れ、若林からの2通目の手紙を受け取った。
日記には、

「12月になるとひょっとしたらと思っていたところへ若林さんからの
手紙が届いていました。やはり海外へ行くという内容。ゲバ棒ふるって
なくてよかった。必ず手紙が来ると信じていたのが当たったことが1番
うれしい。さあ返事を書かなくちゃ」

ところがその返事も受け取っていない。2通目の封筒を開けてみた。
日付は12月30日、1度消してある。返事は書かれていたのだ。