夕暮れ迫る桃山御陵の坂道をゆっくりと上り、ただ一方的に話しながら
下って行った。とうとう彼女の下宿の前に着いたが、まだ治はしゃべっ
ていた。下宿のおばさんが出てきて二人を興味ありげにながめ、

「どうぞ中に入ってお部屋でお話しなさい。お茶持って行ってあげるから」

と言われて、初めてわれに返って2階の彼女の部屋に上がらせてもらった。
清潔な美しい部屋だった。お茶が出て、

「どうぞ、ごゆっくり」
と笑みながらおばさんが降りて行ったあと、そうもいかない。
正座したまま足がしびれてきた。彼女の話はわずかだったがよく覚えている。

1つは健康そうに見えるけど内臓疾患を抱えていること。もう一つは来年
教職をとって卒業したら母校の幟町小学校に赴任したいということだった。

足のしびれが極限に達してきた。このままいけば立てなくなる。あの時と
同じだ。小学校6年の冬、和室で教師と生徒代表との緊急会議があった。
運動場を野球とサッカーが重なると全くほかの遊びができないので運動場
の使用をどうするかの議題だったと思う。

当時は1学年7クラスもあって5年生6年生の学級委員だけで28名もいた。
とにかく子供の数が多く必然的にグラウンドは狭くなるのだ。足を崩せばい
いのに我慢していた。一度無理に発言して何とか腰を浮かせ座りなおしたが
後は地獄だった。

とうとう会議終了後に立てなくて副学級委員の柴山杏子に助けてもらったこと
がある。その時は他の級友がいなくて冷やかされずに済んだ。その二の舞に
なるのは何としても避けたい。頃合いを見て素早く立ち上がり別れを告げた。
思えばこれが最後の別れになったのだ。