ジャンル:恋愛
 テーマ:海
 制限: 「!」「?」「……」「――」『 』( )の禁止
 文字数1500~3000
 
 というお題で書かせていただいた作品です。

◆     ◆     ◆     ◆

 静まり返った校内だとチャイムの音がよく響く。昼間の騒ぎがまるで嘘のようだ。
 僕の学校は海の近くにある。それなので、毎年恒例の行事である海開きの日は、どのグループで行こうかという計画が昼休みに行われる。
 グループは男子だけだったり、女子だけだったり、男女同人数だったり。そして、この海開きの日に、何故かカップルが成立することが多い。これは、僕の学校の七不思議のひとつと言ってもいいだろう。
 昨日まで僕は潮風を受けながらビーチバレーをする、そんな自分の姿を想像していた。
 けれど、実際は誰にも誘われなかった。当然といえば当然だ。僕はカナヅチにちかい。泳ぎが達者な皆についていけずに、いつも溺れかけながら進む。待っていてくれた皆に追いついた時、あびせられる視線に感じるのは「もっとはやく泳げるようになれよ」という無言の圧力。その度に僕は、もう溺れかけてまで泳ぎたくないと思うのだ。そんな僕が誘われるはずがないのだ。
 仕方なく、いつものように図書室に向かう。その途中の美術室の前で、僕は校内に不似合いな音を聞いた。それは、波が打ち寄せる音とカモメの鳴き声だった。
 一体、何故、その音が聞こえてくるのだろう。引き寄せられるように美術室を覗き見る。
 そこには、携帯スピーカーの音量を最大にした状態で、キャンバスに向かって一心不乱に筆を走らせる女子がいた。逆行をあびて長い髪が金色に輝いて見える。
 僕が知らない人じゃない。同じクラスの海野風香だ。成績は優秀で運動能力も抜群。男の僕が「すごい」と憧れてしまう女子でもある。
 その海野風香が音のリズムに合わせて筆を走らせているのだ。書いているのは海の絵。夕焼けに染まった空と海、そして黄金色に輝いている飛沫、そんな奇麗な海岸を走る麦わら帽子を被った女性。その女性が、そこにいる海野風香に見えてきて。
「すごく奇麗だ」
 思いが言葉になって出てしまっていた。僕の声に気づいた海野が振り返り、驚いた顔をする。
「海開きの日なのに、まだ残っている人がいたんだ」
 海野の言葉に自己嫌悪してしまう。その僕の心境を捉えたのか捉えていないのか、海野は微かに笑った。
「私も人のこと言えないんだけどね。褒めてくれてありがとう。奇麗でしょ」
 海野は海の絵のことを褒めてもらえたと思っているみたいだけど、本当は違うんだよとも恥ずかしくて言えない。話しかけられているのに顔を見ることもできないし、返事をすることさえもできない。小心者の僕はただ首を縦に振るしかなかった。
 彼女は僕にとっては高嶺の花のような存在だ。近づけることなんてないと思っていた。そのせいか緊張して握った手の中に、汗が滲み出ているのを感じる。
「青山くんは確か文芸部だよね。どんな感じの作品を書いているのか、聞かせて」
「えっ、期待されるようなものは書いてないよ。人に見せられるようなものでもないし。ただ、ファミリーコメディーを書いているんだ。昭和っぽい感じの」
 不思議だ。小説のことになると流暢になるのは何故だろう。けれど、ファミリーコメディーと言った途端、海野の表情が暗く変化していったのに気づいた。
「何か心配事でもあるのか。僕でいいなら聞くけど」
「私、家に帰りたくないから、ここで絵を書いていたの」
 聞いて何となく察した。女子が海野の父親の話をしているのを聞いたことがあるからだ。酒を飲んでは暴力を奮うらしい。しかも、父親は学校まできたことがあるというのだ。おそらく、美術室は海野の恰好の逃げ場なのだろう。
「海っていいよね。たくさんの国と繋がっている。許されるなら、船に乗って遠くに行きたい」
 いつの間にか海野の筆の動きはとまっていて、僕に視線が向けられていた。
「青山くんが海に行ってないのも不思議だよね」
「僕は誰にも誘われなかったから」
「じゃあ、私と同じだ」
「海野もなのか。人気があると思っていたんだけど」
 とまで言って、僕は失言したと思った。暴力的な父親が学校まできているのだ。そんな女子を誘って、皆が海に行きたがるだろうか。おそらく、巻きこまれたくなくて避けるに違いない。
「ごめん、変なこと聞いて。今の質問は忘れてほしい」
 クスリと海野が笑う。その笑顔は教室でも見たことがないものだったのでドキッとしてしまう。
「笑ってごめん。悩みを聞いてくれるって言ったのに、途中で話をとめて変なのと思ったの。みんな知っていることだもんね。青山くんも、やっぱり知ってたか」
 不思議だ。全く違う境遇なのに、お互い海開きの日に友達に誘われずに悩んでいる。
 しばらくの沈黙の時間が胸に突き刺さるようで痛い。ここは男の僕が何か言わないと。
「僕なら、僕なら、海野の父さんがきても構わないから海に誘うけどな。だってそうだろう。友達の笑顔はやっぱり見たいよ。一緒に楽しめるのが本当の友達じゃないか」
 カッコつけじゃない。それが僕の本心。けれど言い終わった途端、全身が熱くなった。
 やばい。今の変に誤解される発言じゃなかったか。海野を好きではあるんだけど、それ以上のことを勘ぐられたら本当に恥ずかしいぞ。
「ありがとう。すこし元気が出たかも」
 言って海野が筆をはしらせる。海岸を走る女性の後ろに、もうひとり誰かを書くつもりみたいだ。その下書きが徐々に完成していく、これは男性だろうか。
 下書きのかたちができると、海野は筆をとめて麦わら帽子を取り出した。
「ねえ、お互い誘われなかったのなら、今から一緒に海にいこっか」
 麦わら帽子を被って笑う海野。そうだ。僕はこの海野の笑顔も見たかったから、自分でも恥ずかしいと思ってしまうことを言ったのかもしれない。
 と、海野の言葉をようやく理解して僕は驚く。
「ええっ、僕と一緒でいいの。だって海野、他に好きな人とかいるんじゃ」
「いいから、一緒に行こう」
 海野に無理やり腕をつかまれる。外は夕焼け空になりかけている。到着した頃には、きっとあの絵のような海が広がっているはずだ。
 すこし前まで、楽しい海開きの日を想像していただけの僕。
 まだまだ僕は半人前だし、カナヅチに近くてあまり泳げない。
 けれど、海野の笑顔を見て、彼女相手には思いっきり溺れてもいいかもなと思ってしまった。