『幸せの靴』

 とある夫婦の結婚三年目の日に小包が届いた。
 それは妻が夫のために取り寄せた物だ。妻は送られてきた自慢の商品を、今日も遅くまで働いてきた夫に見せる。
「あなた、いい物を取り寄せたのよ」
 妻が上機嫌で夫に見せた物。それはどこにでもあるような革靴だった。しかし、夫は通勤用の革靴を数週間前に買い変えたばかりだ。そのため、夫は妻に向かって怪訝そうな顔をした。
「せっかくのプレゼントで嬉しいんだけど、買い変えたばかりだからな。どうせなら違う物にしてくれたら良かったのに」
「あら、違う物よ。多分、あなたも聞いたら喜ぶと思うわ。これは新製品なの。歩けば歩くほど、お金が貯まる靴なのよ」
 しかし、そんなうまい話が世の中に転がっているはずがない。やはり何かしら裏に、そうなる理屈が存在するはずなのだ。
「そのお金が貯まる理由は、どうしてなんだ」
「うふふ……やっぱり、そこが気になった? その秘密はね。この靴底に発電する機械と、その電気を供給する機能があるのよ。歩けば歩くほど、たくさん電気をつくって、電力会社から電気を売ったお金を貰えるってわけ」
 半信半疑だった夫は妻の説明で「なるほど」と、理解した。妻は夫にいつも「太ってきたんだから運動したら?」と言っていたのだ。減量という理由だけでは、全くといっていいほど動きたがらなかった夫だ。妻は運動嫌いの夫が、何とか喜んで運動する口実を見つけてきたのである。
「これなら電気を売ったお金で、あなたも好きなものが買えるでしょう。たくさん歩いて、頑張って貯金してね」
「そうだったのか。ありがとう。とにかくはじめはどれだけ貯まるかだな。早速、今日から履いて会社に行こう」
 その日から、夫は妻が渡してくれた靴を履いて歩き始めた。歩くだけで収入があるというのなら話は別だ。いつの間にか、どこに行くにもその靴だと決まっていた。
 そして、履きはじめてから一か月。電力会社から報告が届き、思いの外、貯金できていることに夫は喜んだ。その貯金は妻との外食代に遣った。
 しかし、人間とは飽きやすい生き物だ。二か月、三か月と経過するうちに夫の行動範囲は狭まっていく。初日は四万歩を越えていたのが、一万歩以下まで落ちた。
「ねえ、最近、あなた動かなくなったんじゃない。今はどれくらい歩いているの?」
 やはり夫の運動量を気にするのは、靴を買った妻だ。帰宅直後に聞かれて夫は少し不機嫌になる。
「ちゃんと歩いているよ。先月は貯金で酒を買ったんだ」
「お酒って……健康のために歩いているのに意味ないじゃない」
「君は僕の運動量まで管理する気なのか? いつも残業続きで疲れているのだから、好きにさせてくれよ」
 そこで、顔色が変化した。その表情に異様なまでの怒気を感じ、夫は思わず生唾を飲む。
「本当に残業続きなの? 私に何か隠していることはない?」
「隠していることって……運動量が減っただけで君は怪しむのか。おかしいだろう!」
「怪しむわよ。だって、電力会社の報告で、あなたの行動ルートの中に、おかしな場所に寄った記録があったんだもの」
 妻の突然の追究に夫はどっと汗をかく。心当たりがないわけではなかったのだ。運動量が減ったのはその理由がある。そして、それは決して妻にばれてはいけないことだった。
「ねえ、本当にこの靴をプレゼントした時も残業続きだったの?」
 妻は何かを知っている。その情報を引き出すための質問をしている。夫はそう感じ取っていた。その焦りが額に汗をにじませる。
 そして、追究から生じた沈黙を待っていたかのように、客人が来たことを知らせるチャイムが鳴った。
「こんばんは。奥さまいらっしゃいますか。本日は靴の行動ルートの説明にあがりました。電力会社兼浮気調査探偵事務所です」
 この世の中には誰にも知られていない仕事がある。
『歩けば歩くほど、お金が貯まる靴』そんなうまい話が世の中に転がっているはずがない。やはり何かしら裏に、そうなる理屈が存在するはずなのだ。そう、いつでもビジネスは合理的なものなのだ。
 結婚三年目にしてしまった過ちを夫が弁解できる余地もない。果たして、妻が大目に見てくれるのか。夫はただ後悔するしかなった。